アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

ニーチェと資本主義

資本主義の「資本」とは単なるお金ではなく「お金を増やすためのお金」である。そして「お金を増やすお金」であるところの資本は金額が幾らでも良いと言うわけではなく、「一定程度以上の大きな額のお金」を指す。だから資本主義とは単なるお金主義ではなく「大きなお金主義」と表現できる。

 

資本主義の定義はいろいろあるが、基本的には資本家(お金持ち)が、生産手段(工場など)を有し、労働者を雇用し、生産を展開するシステム、である。

 

ある程度以上のお金があれば工場などの設備を買い揃え、労働者を雇って商品を生産し、それを販売して利益を得て、そうやってさらにお金を増やすことができる。と言うのが資本主義のシステムである。

 

最近では(お金を持っている)資本家が金を出して、(金を持っていない)優秀な経営者を雇い、その雇われ社長の判断によって設備を購入し人、を雇って、商品を生産し、金を増やす例もあるが、基本的な構造に変わりはない。

 

日本の資本主義は明治になって始まった。なぜ江戸時代に資本主義がなく、明治時代からそれが始まったのか?実は「資本家が生産手段を有し、労働者を雇用し、生産を展開する」と言うシステムを動かすには相当な能力が必要になる。

 

資本主義の世の中にあって、日常的な「小さなお金」を超えた、資本主義を作動できるほどの「大きなお金」を動かせる能力を持った人間は、ごく少数に限られている。このように本当にごく少数の優れた能力を持った人間を「均等な機会」によって選別しなければ資本主義は成り立たない。

 

これに対し江戸時代の日本は封建制であり、個人の能力ではなく世襲制によって身分が決まり、機会が均等ではない。そのようなシステムでは資本を動かせるほどの優秀な人材を選別し続けることができず、資本主義は成立しない。だから資本主義と民主主義は深く関係している。

 

世の中に身分制度がなく、機会の均等が与えられていたなら、どのような境遇に生まれたとしても、優秀な人間はその能力に応じて出世し、資本を動かしてさらに金を生み出すと言う、誰にでもできないような稀有な仕事を受け持つことができるのである。

 

日本の資本主義を作り上げたのは福沢諭吉で、『学問のすすめ』の冒頭で「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と説き、四民平等の世の中では学問を修めて能力を身に付けた人間は社会的にいくらでも出世できると述べた。つまりそのように能力の高い人間を出世させなければ資本主義は回らない。

 

以上のTweetは下記の番組のパクリだが(笑) このように見ると資本主義とはニーチェが理想とする「強者が伸び伸びとその優れた能力が発揮できる健全な世の中」になっているように思える。因みにニーチェ(1844-1900)は福沢諭吉(1835-1901年)は同世代である。

 

 

その意味では、資本主義はキリスト教の影響の範囲外にある。資本主義は純然たる「能力主義」で、そうでなければ複雑高度な資本主義のシステムは作動しない。いや本当はマックス・ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読まなければならないのだが…

 

ウェーバーは後で読むとして、ニーチェと資本主義について。資本主義の世界はニーチェの理想を実現しているのに、ニーチェはなぜ不満を漏らしているのか?ニーチェはあくまでキリスト教の悪口を言っているのであり、資本主義の悪口を言っているわけではない。

 

しかし産業革命と民主主義と近代国家主義とに裏付けされた資本主義は、一方ではかつてない規模の大量の「弱者」を生み出すシステムでもあった。つまり資本主義によって様々な種類の大量の商品が生産されるようになり、そのために大量の人間がこの地球上に生息可能になったのである。

 

そのようにして増えた人間を資本家は雇って商品を生産し、その商品を増えた人間たちに買ってもらうことで、さらに資本を増やすことができる。そしてその資本を投入してさらに生産性を増し、その商品を買うことで人々は自分たちの家族を増やし、それがまた資本家に雇われる。

 

つまり資本主義とは、人間の「能力の偏在」を利用したシステムだと言える。「原始人の末裔」である「強者」の数は、原始時代からの一定数が変化しない。原始時代から文明時代に移り、それ以後に増えるのは新たな遺伝子を持つ「弱者」のみである。

 

そして福沢諭吉が『学問のすすめ』で説いた民主主義の機会均等とは、大量に生まれた「新しい遺伝子を持つ弱者」たちのうちから、ごく少数の「原始人の末裔である強者」を選別するシステムだと言えるのだ。

 

そして、資本主義はごく少数の「強者」と大多数の「弱者」がいるという、「能力の偏在」があってこそ成立するシステムなのである。全ての人間が資本家であったなら、資本主義は成立しない。多くの労働者はもらった賃金を「資本」として使うような能力を持たないその意味での「弱者」である。

 

労働者は労働で得た賃金を一つには「消費」に回すことで、資本主義に貢献する。消費とはまさに財が消えて無くなる事を意味し、そのようにして労働者は「消費者」となり、消費した分の商品を次々と永遠に購入することになり、資本家に貢献する。

 

労働者はまた、労働で得た賃金で家族を養い子供を増やす。資本主義以前の世の中では「品物」が絶対的に不足しているため、人間が子供を増やせる数が一定以下に限られていた。しかし資本主義が生み出す大量の商品によってその限界がなくなり、労働者は子を増やし、その子がまた労働者になるのである。

 

資本主義はまた、「弱者」に対してもその最適な望みを与えるシステムでもある。文明の基本とは多数の弱者を生み出しこれを養うシステムであるが、資本主義はこれに特化している。そしてそのような素地の中に、ニーチェが嫌悪した「キリスト教的価値観」が台頭する余地が生じるのである。

 

初期の資本主義社会では、労働者の酷使と貧困が社会問題化した。イギリスでもアメリカでも年端もいかない子供までもが労働者となることが常態化した。これは資本家が資本主義時代における「王」となり「暴君」となった状態と言える。

 

この現代の暴君に対し、キリスト教的倫理観が意を唱え、これに歯止めを掛けるための諸制度が整備されるようになった。つまり資本主義の世の中は、ニーチェが望んだ「強者」の価値観と、これとは正反対のキリスト教な「弱者」の価値観が拮抗したバランスで成立していると見ることができる。

だが、この資本主義に拮抗する「キリスト教価値観」は実になかなか強力で、なぜならそれも資本主義の恩恵によってより力を得ているからである。従って現代の「キリスト教的価値観」は、資本家以外の「強者」の存在を許さず、それにニーチェオルテガも憤っているのである。

 

恐らくだが「資本主義」の世界にあっては資本家と労働者以外の立場の人間は浮かばれない仕組みになっている。その近代において「純粋芸術」の理念において金にもならない作品を生み出し、貧乏に喘ぐ芸術家が出現することは、まことに不思議である。またニーチェなどの哲学者の居場所はどこにあるのか?

 

それにしても、たった5分の動画を見ただけで資本主義の何たるかがだいぶ理解できたのだが、以前は「景気が一向に良くならない」などと言われても何の事なのか?全くわからなかったが、今なら明瞭に理解できる。まぁ何も知らなくとも生きて行けるのが資本主義ではあるのだが…

ニーチェの言う「強者」の特徴

強者とは、過酷な自然環境を生き延びてきた原始的エリートの末裔である。その遺伝子は厳しい自然環境によって選別される。これに対し弱者とは、本来の自然環境では生きられない、文明成立後に発生した新しく選別された遺伝子を持つ種族である。

 

強者とは野生種である狼のようなものであり、対して弱者とは、文明成立後に狼から選別され独自に発達した犬のような存在である。強者は原始人の特性を強く受け継ぎ、認識力が発達し、環境への適応性が高い。

 

強者は弱者に対し寛容である。なぜなら強者は圧倒的多数の弱者を自らが、置かれた「環境」とみなし、よく観察してよく認識し、全てを知り尽くしているからである。一方、弱者は少数者である強者を迫害するが、そのような迫害に対し強者は実に寛容な態度を示す。

 

なぜなら強者は弱者がなぜそのような態度をとるのかを知り尽くしているのであり、腹も立てないのである。強者は自分が弱者から迫害され、排除されることを、環境として十分認識し、それだから柔軟に対応できるのである。

 

強者にとっては、どんな環境であってもそこは過酷な自然環境と変わらないのである。強者はそのように「死のリスク」のある環境に身を置かなければ「生きている」と言う実感を得ることができない。

 

安全で退屈な人生は強者には耐えられない。動物園で餌をもらって暮らす狼ほど惨めな存在はないのである。

一方で羊は人に飼われながら餌をもらうのが幸せで、逆に荒野に放り出された羊ほど不幸な存在はないのである。

 

弱者は安寧で不動の環境を求める。弱者が求めるのは究極的には天国であり極楽浄土である。

強者はむしろ、環境の変化そのものを求める。環境が変化してこそ、自らの能力が発揮できるからだ。

 

弱者はむしろ、自分の能力はなるべく発揮したくないのである。能力を発揮しなければならなくなった時、それは「緊急事態」であり出来るだけそうなるのを避けたいと願っている。

 

環境が変化したなら、それに応じて自分も変化しなければ環境に適応できない。強者はいかようにも自分を変化させる柔軟性を持っており、それが優れた能力となっている。

 

これに対し弱者は今のままの自分に固執し、決して自分を変えようとしない。それは環境変化に弱く、自分が今いる環境に固執する性質と表裏一体の関係にある。

弱者は何も知ろうとせず、何も認識しようとしない。なぜなら何か新しいことを知り、認識してしまうと、それまでの自分が別の自分へと変化してしまうからだ。だから弱者は何も知ろうとせず、何も認識しようとせず、深く悩む。

これに対し、強者は自分に悩みが生じた際は、その原因を知ろうとし、問題解決の方法を認識し、従って考えはするが悩むことをしない。

 

強者は環境に適応することを目的に生きる。そのために自らが適応すべき新しい環境を自ら作り出す。言ってみれば、自らピンチを招く状況を作り出し、それを切り抜けることに生きがいを見いだしている。

 

もちろん弱者はそのような生き方に耐えることができない。弱者が求めるのは安全であり、安心であり、安寧である。そのために自分はできるだけ「何もしたくない」のである。

 

もちろん弱者もただ生きながらえるだけでは退屈で、「生きがい」や「娯楽」を必要とする。しかし弱者が求める生きがいとは、あくまで舞台俳優ではなく「裏方」であり、弱者が求める娯楽とはこれも舞台俳優ではなく「観客」なのである。

 

つまり弱者は生きがいにおいても娯楽においても、自分の身を投じて何かをすると言うことがない、その意味で「何もしない」のと同じなのである。

 

強者はいつも忙しく、休まる時がない。原始時代の原始生活において、じっくり熟睡をしようものなら、いつ凶暴な肉食獣に襲われるかも分からない。強者の祖先である原始人は、そのような過酷な自然環境を生き抜いてきたのである。

 

強者は広範な分野に対して好奇心旺盛で、常にそれらについて知ろうとして忙しい。また強者は目まぐるしい環境の変化へと自らを追い込み、その適応に忙しいのである。

強者と和解

僧侶はただ一つの大きな危険を知っているだけである。すなわちそれは科学、ー原因と結果という健全な概念である。しかし科学は全体としては幸福な事情の元でのみ栄え、ー「認識する」ためには人は時間を、人は精神を、ありあまるほど持っていなければならない。「従って人間は不幸にされなければならない」、ーこれがいずれの時代でも僧侶の理論であった。

全「道徳的世界秩序」が、科学に反抗して捏造されたー僧侶から人間を解放する事に反抗して.人間は外を覗いてはならず、己の内を覗くべきである。人間は学ぶ者として事物の内部を慎重に覗き見てはならずら総じて全然見てはならない、すなわち、人間は苦悩すべきである。

ニーチェ 『反キリスト者

 

 

 

そう、苦悩する人は認識しない。実は他ならぬ自分の母親がそうなのだが、苦悩する人は苦悩に閉じこもって他人のアドバイスをことごとく認識しない。

 

そして確かに今の日本人の多くは忙しく、忙しければ忙しいほど認識力は低下する。

 

『偶像の黄昏 反キリスト者 ニーチェ全集14』(ちくま学芸文庫)のうち『反キリスト者』のみやっと読了…やはり哲学書を読むのはタイヘンで、頭に負担がかかって一気に読むことができず、どうしても時間がかかってしまう。また理解しながら丁寧に読む余裕もなく、ただ読み終えるだけで手一杯になる。

ニーチェの「強者」と「弱者」の概念はなかなか難しいが、原理的に弱者の立場から強者を理解するのが難しい。しかし逆に強者の立場から弱者を理解するのは可能なはずである。なぜなら弱者より強者の方がより認識力が高く、それがニーチェが示した原理の一つだからである。

 

ニーチェによるとキリスト教によって「強者」と「弱者」の立場が反転し、弱者の属性が「善」とされ、強者の属性が「悪」とされ、強者および強者的価値は圧倒的数を誇る弱者によって迫害されるようになった。これに対する強者による反撃とは、弱者を殲滅し絶滅させることでは決してない。

 

弱者を殲滅せよとはニーチェも述べていないし、そのような解決方法は原理的に間違っている。「文明」が形成されればその構成員がごく少数の「強者」と圧倒的多数の「弱者」とに分かれることは、構造上の必然なのである。

まして科学技術を背景にした弱者優勢の状況において、強者がこの形勢を逆転する事はかなり困難だと言える。この状況で「強者」がなし得るのは何か?と言えば、一つには宗教家の谷口雅春先生が述べる「万物との和解」である。

 

「強者」と「弱者」は和解しなければならない。しかし、原理的に弱者の側から強者に対して和解を申し込む事はできない。弱者に対してより認識力の高い強者の側が、弱者に対して和解する事ができるのである。和解とは「譲歩」であり、つまり「強者」だけが「弱者」に対して譲歩することができるのだ。

 

「強者」はまた環境変化に対して柔軟な適応性を示す、過酷な自然環境を生き抜いてきた原始的エリート集団の末裔なのである。対して「弱者」は文明成立後に登場した、過酷な自然環境では生きられない、環境変化への適応性を示さない「新しい遺伝子」を持つ人々である。

 

つまり強者の弱者に対する「和解」とは、強者による「新しい環境」への適応を示している。原始人の末裔である強者は、文明内にあってもその安寧を享受せず、常に原始時代と変わらぬ淘汰圧に晒された環境に生きている。この淘汰圧が、現代では「弱者からの迫害」という形で働いているのだ。

 

しかし真の意味での「強者」であれば、どれだけ厳しく自分に不利な環境であっても、柔軟に適応して生き延びるだけの「力」を持っているはずである。強者によるこの時代における「適応」とはどんなものか?

 

それは例えば中島義道先生が「強者」だったとして、しかしそれをひた隠しにして「弱者」を演じていて、それで哲学を装った駄本を多数出版して金儲けをされている。もし中島義道先生がそのように「演技」をしているならば、それは「強者」による環境適応の一例だと言うことができるだろうか⁈

 

以上は馬鹿馬鹿しい空想でしかないが、いずれにしろ「強者」にとって圧倒的多数の「弱者」とはすなわち「環境」であり、「強者」であればその環境に柔軟に適応できるはずなのである。

 

それでニーチェはどうなのか?と言えば、キリスト教的価値観が全てを支配するという最大限に不利な環境にあって、それに惑わされず「正しい認識」を行なった事で、実に見事な柔軟性、適応性を示したのである。本人は梅毒という惨めな死に方をしたとしても、後世に残したその功績は大きいと言える。

戦争と創造

文明は何を生み出したか?と言えば一つには大量の「非創造的なつまらない仕事」である。文明とは数々の「非創造的なつまらない仕事」によって成り立っている。それでは文明内において「創造的な面白い仕事」とは何か?ニーチェ的に言えばその筆頭は「戦争」である。

 

戦争と言ってもそれは古代文明における戦争であり、貴族が参加する戦争である。古代ギリシアにおいては奴隷を使役する金持ちである「市民」が自分の金で高価な武器を買い、勇んで戦争に参加する。かのソクラテスアテナイ軍の重装歩兵団の一員として戦争に参加していたのである。

 

近代の戦争は、少なくとも下級の一般兵士にとっては創造的とは言えない。近代兵器は工場で製品を生産するような効率性で人殺しをする機械なのであり、そのオペレーターである兵士の仕事は、その意味で工場労働者と変わらない「非創造的な仕事」だと言える。

 

いや戦争についてはほとんど知識がないままに書き始めてしまったのだが、改めて考えると、人間にとって「戦争」こそが創造的だと言えるのだ。有り体に言えば頭を使って創造性を最大限に発揮しなければ戦争に勝つことはできず、だから孫子やマキャベッリなどによって戦争論が書かれてきたのである。

私も平和主義に毒されて目を背けていたが、確かに戦争によって人類は創造性を発揮してきたのであり、近代兵器の発達を見てもそれは明らかだし、アメリカの最新兵器兵器に対抗してゲリラ戦を仕掛けて勝利した北ベトナム軍を見ても明らかなのである。

 

たとえ戦争が起きないと言う意味での平和な状態にあっても、経済戦争という言葉に代表されるように、さまざまなかたちでの「戦争」が行われているのであり、それらの戦争においてのみ「創造性」が発揮されているのである。

 

戦争に反対する平和とは、実に創造性の敵なのである。平和を愛する人は戦争を恐れ、創造性を恐れる。弱者は戦争を恐れ、争いを恐れ、創造性を恐れる。だから平和を愛する多くのアーティストは、争いが生じない程度に創造性を抑制し、どんぐりの背比べのような作品を作って満足し、客もそれを喜ぶ。

 

真に創造性を発揮するアーティストは戦闘的で、常に戦争の前衛に立って命を張っており、その態度によって平和を愛する人々から恐れられる嫌われる。平和を愛する人は自分が争いに「巻き込まれること」を極端に恐れる。創造的で戦闘的なアーティストは平和主義者を戦争に巻き込もうとするから嫌われる。

 

哲学とは認識の前衛である。ニーチェを読んでもわかる通り、哲学者は人間の認識と戦い、自らの認識と戦い、その戦いの前衛に常に位置している。この反対に、認識と戦わない人間は「常識」という認識にどっぷりと浸って安住している。

 

認識の前衛に常に立とうとするという意味で、ニーチェをはじめとする哲学者は「強者」である。しかし「哲学者」の肩書きを持つ人間が全て「強者」であるとは限らない。

 

例えば哲学者の中島義道先生は、日本の哲学者の多くは実質的に「哲学研究者」であり、自分で泳ぎもせずに水泳の研究をしてるようなものだ、と批判していた。そのような立場の哲学者はとても認識の前衛に立っているとは言えず「強者」とは言えない。その人は安全で平和な常識の中に安住している。

 

それでは「戦う哲学者」を自称する中島義道先生は本物の哲学者であり「強者」であるのか?と言えば、今の私にはかなり疑わしく思える。私は1995年に出た中島義道先生の『哲学の教科書』から哲学に興味を持ち、それから先生の著書を何冊も読んだので「先生」なのだがその結果、疑うようになったのだ。

 

私は当初、中島義道先生の著書をはじめ「入門書」ばかり読んでいたのだが、ある時から無理をしてでも哲学の翻訳書を読もうと決意したのである。

 

それは美術家の彦坂尚嘉先生の影響なのだが、私は「自分が美術家だから哲学は入門書を読むべき」と思っていたのだが、彦坂先生は「美術家だからこそ哲学の原典を読まなければならない」ことを示してくれたのである。

 

そのようにしてはじめはチンプンカンプンながらも彦坂先生が主宰する「ラカン読書会」に参加するようになり、自分でもフッサール『厳密な学としての哲学』など読みはじめて、数年経ってだんだんわかってきたのだが、ラカンにしてもフッサールにしても、入門書と翻訳書では全く内容が異なっているのだ。

 

そのことは他で何度か述べているが、私が敬愛してきた中島義道先生と、ラカンフッサール西田幾多郎などの哲学者との「違い」もだんだんと分かってきてしまったのである。

 

いったい、中島義道先生が立っている地点は「前衛」と言えるのか?中島義道先生は『哲学の教科書』で述べているように、自身の哲学の起点を「子供が持つ素朴な疑問」に置いていて、そんなことを言った哲学者は他に知らないという意味でオリジナリティがあると言えるが、その地点は「前衛」なのか?

 

哲学者は認識の前衛に立っている、という意味で、哲学の起点を「子供の素朴な疑問」に置くことは「後方に立てこもり、そこに固執した態度」に思えてしまう。

 

このように「前衛」を自称しながら「子供の素朴な感性」という「後方」に立てこもる態度は、実は戦後日本の美術界に広く見られる傾向である。それは岡本太郎の著作『今日の芸術』の影響が大であるが、岡本太郎は戦後に提唱された「児童画教育」の影響をかなり大きく受けている。

 

この児童画教育と岡本太郎の関係も以前に書いたはずだが、中島義道先生による「哲学とは何か?」もこの流れの中にあると言えるかもしれない。実に、中島義道は「哲学界の岡本太郎」であって、だから大衆に人気があり著作が売れるのである。

 

「戦う哲学者」を自称する中島義道先生は何と戦っているのか?それは世間の「常識」と戦っているには違いないが、中島先生が兵隊として出撃させているのは実に「子供のままの自分」なのである。この戦いは「大人と子供の戦い」「子供による大人への反抗」の延長に過ぎない。

 

とすると岡本太郎の影響を受けた戦後日本の美術の多くは「子供による大人への反抗」であり、現在に至るまでそれが何かとても良いもののように世間で受け入れられているのではないか?つまり平和を愛する人々の間では、本来的な「前衛」での戦いが「子供による大人への反抗」の戦いに置き換えられている

 

実は戦争を憎み平和を愛する「弱者」も、一方で本能的に「戦い」を好みそれなしでは生きて行けない側面を持っている。少なくとも生きていく上での「気晴らし」に、娯楽としての争いや暴力を「弱者」たちは求める。

 

そこで求められるのはあくまでも「弱者」自身に危害も責任も及ばない「安全な戦い」であり、そこでスポーツやSF戦争映画などが絶大な人気を得るのである。それは哲学や美術についても同じで「子供の素朴な感性」に立脚した「大人への反抗」こそが、「絶対的に安全な戦い」として弱者たちに好まれるのだ

 

そう言えば大学の後輩に聞いたのだが、彼にはどこかの大学の哲学科を出た叔父がいて、その叔父によると「自分で哲学をしながら何か新しい発見をしたと思っても、その発見は必ず既に先人の哲学者たちに発見されていたことに過ぎず、そのように今の時代において哲学的に新たな発見を得ることは不可能」なのだそうである。私がこれを聞いたのは哲学に興味を持ちはじめて間もない頃で「専門家にとってはそんなもんなのか」と思って、しかし素人の自分がそんなことを気にしても仕方がない、とあまり気にしてなかったのだが、しかし今振り返るのこの認識はかなりおかしい。

 

まず一つには、私も実は自然科学に興味を持ったばかりの頃は「狭い地球のことだからそこに生息する生物についてもこの全てが科学者たちの研究によって解明されてしまっているだろう」と何となく思っていたが、実際は全くそんなことはなく人類にとって未知の領域は無限に広がっているのだ。

 

あるいは国分寺市に住んでいて身近な昆虫観察を始めようと思った当初は「狭い市内の昆虫なんて、一年もあれば全種類を観察し記載できるだろう」と思っていたのだが、これも始めてみると実際は全く異なっていて、そんな認識は全くの間違いであることが判明したのである。

 

科学がそうであるなら哲学も同様で、いくら人類の認識を積み重ねたところで、もう新たな発見が不可能というような「すべてを知り尽くした」という状況が訪れることは無いだろうと類推できるのだ。

 

それに加えて、哲学的に「わかる」ことと、科学的に「わかる」ことは、同じ「わかる」でもずいぶんと性質が異なる。と実際に哲学書を読んで思い知らされる。ニーチェを読んでそれを科学書を読むようには理解できない。それとは全く別の理解力が哲学には要求される。

 

哲学書に求められる理解力は、全人格的で綜合的なもので、だからニーチェを読んで「ニーチェだけ」を理解することはナンセンスで、むしろ自らが全人格的で綜合的に何かを理解したなら、必ずしも「ニーチェそのもの」を理解する必要も無いのである。

 

そもそも哲学が「全人格的で綜合的なもの」ならば、ニーチェ本人でない人がどうして「ニーチェの哲学そのもの」を理解できるのか?だから「哲学的な認識は先人によって全てされ尽くされてしまった」という哲学科卒の叔父さんの認識は、全く哲学というものを誤解しているように思えるのだ。

 

あるいは、ニーチェの哲学を知るために、ニーチェ本人になりきりニーチェと同じ人生を歩む、という方法はあるかもしれない。しかしそれは以前にも取り上げた「模倣」の問題になってしまう。美術の場合もそうだが、模倣はオリジナルを越えることがないのである。

 

当たり前だが模倣は前衛になり得ない。だから例えばニーチェの思想をいくら正確に理解しようとしたところで、それは認識の前衛にはなり得ない。それでは難解なニーチェをどう読めばいいのか?それはニーチェ道徳の系譜学』の序文「認識の木」の項目にヒントが記されている。

 

私達にはいかなる事においても「個別なもの」である事を求める権利はない。私達は個別者として誤ってはならないし個別者として真理と出会ってもならないのだ。そうではなく一本の樹に果実が実るような必然性をもって、私達の思想が、価値が、肯定と否定が、〈もしも〉と〈かどうか〉が実ってくるのだーすべてのものは互いに親しいものであり、全てが一緒になって、一つの意思、一つの健康、一つの土地、一つの太陽を証すものとして生まれてくるのだー私達の果実は君達の口に合うだろうか?ーしかしそのようなことは「認識を実らせる」この樹に関わりのない事なのだ!私達、哲学者には!

 

ニーチェ道徳の系譜学』

 

哲学は「全人格的で綜合的なもの」だとしても、それは「個人」に還元されるものではなく、ニーチェが述べるように「認識の樹」に接木されその先に実る果実でなければならない。そのためにニーチェは「系譜学」によって人類史の系譜を辿ったのであり、それはソクラテスの「想起説」にも相通じる。

哲学者は自分の人生を超えて何事かを想起し、系譜を掘り起こしてたどる事によって「認識の樹」に接続される。だからその意味でも中島義道先生の「子供の素朴な視点」を哲学の起点に置くことは間違っていると言えるのだ。

前衛と責任

ニーチェを読みながらの続き。ニーチェオルテガが言うように、現代は「奴隷」の世の中なのである。奴隷とは何か?それは奴隷の身分から解放されてもなお奴隷であろうとする人間、奴隷から解放されても貴族的な自由を謳歌せず、なおも誰かの奴隷になろうと欲する者である。

 

つまり、多くの人はクリエイティブであろうとしない。同時に他人のクリエイティビティを評価しない。いや多くの人はiPhoneなど革新的な製品を評価するが、しかしそれは「便利だから」評価しているのであり、クリエイティビティを評価の中心軸に置いているわけではない。

 

世の中の多くの人は実に「つまらない仕事」をしている。つまらない仕事とは「クリエイティビティとは無縁」な仕事であり、それは誰でも交換可能な仕事であり、「奴隷仕事」なのであり、契約上は奴隷でなくとも仕事の内容としては奴隷仕事なのである。

資本主義の世の中で、多くの人が「つまらない仕事」「奴隷仕事」を嫌々ながら我慢してやっているのかと言えば、実はそうではなく、多くの人にとってそのような仕事が「性に合っている」のである。反対に、多くの人は「面白い仕事」「自らの創造性を発揮する仕事」に就くことを嫌って避けようとする。

 

「人が嫌がる仕事」とは、実は下層の奴隷仕事ではなく、「クリエイティビティを発揮する仕事」こそが大多数の人によって嫌がられる仕事なのである。

 

それは例えば「美術」と言う本来的に自らのクリエイティビティを遺憾なく発揮できる分野の仕事においても、実に大半のアーティストは十全にクリエイティビティを発揮しようとせず、「どこかで見たような作品」のバリエーションを製作して満足する。

それは美術を観る側も同じで、「今までに見たことのないような作品」に人々は見向きもしないし、そのようなクリエイティビティを発揮する美術家を人々は全く評価せず、その存在を無視する。

 

つまり多くの人がクリエイティビティというものについて、それを発揮することにおいても受容することにおいても、基本的には「嫌」なのである。それはなぜ嫌がられるのか?一つにはクリエイティビティとはニーチェの言う「強者」の属性であり「弱者」はそれに本能的に拒否反応を示すのである。

クリエイティビティがなぜ強者の属性なのか?クリエイティビティには基本的に「責任」が伴うからである。「弱者」は一つには自分で責任を負うことを嫌って避けようとするから「弱者」とされるのである。

 

なぜクリエイティビティに責任が伴うのか?それは自らが切り開くところの「前衛」であり、「前衛」は自ら切り開くゆえに「責任」が生じるのである。

 

原始時代の原始生活において、日々の生活は自分で切り開いていかなければ生き残ることはできない。原始時代の人類は自然の淘汰圧により厳しく選別された、少人数の「エリート集団」として存在していた。その生活の場は常に「前衛」であり、自分の責任を肩代わりしてくれる「後衛」は存在しないのである

 

「責任」というものは、自分で負うか、誰かが肩代わりしてくれるか、のどちらかである。過酷な自然環境に晒された原始生活において、例えば足を負傷した他人に肩を貸しながら移動すると、共倒れになるどころか群れ全体の危機を招いてしまう。

 

原始生活という「前衛の場」において、怪我をした責任は自分で負うしかない。これを他人に肩代わりさせようとすれば、群れ全体の存続を脅かしてしまう。という責任論から見れば、文明とは「多くの人間の責任を肩代わりするシステム」ということができるかもしれない。

 

文明とは「弱者」の責任を肩代わりするシステムである。ハンムラビ法典においても私的な復讐は禁じられていて、復讐の責任は国家が肩代わりしてくれる。それによって自然環境では生き残れないような「弱者」の生命が守られ、その「保障」によって国家というシステムが維持される。

 

奴隷は貴族に嫌々ながら使役されているのではない。前提にあるのは、文明とは自然環境では生きられない圧倒的数の「弱者」を救済するシステムであり、そのように自然の摂理に逆らって生存させられている「弱者」は積極的に生きる意味を持たず、「奴隷」とはそのような人たちに用意された階級なのである

 

「弱者」とは、自分が生きる上で何をして良いのかが分からない層を指す。つまり自分のなすべきことをクリエイティブすることができない。そこで弱者には外部から「仕事」が与えられる。

 

自らの生きる意味をクリエイティブできる「強者」にとって、「弱者」向けに与えられた「仕事」は苦痛でしかないが、弱者にとって「クリエイティビティを発揮しろ」と言われること自体が苦痛で、「つまらない仕事」で時間を潰すことこそ「性に合っている」のである。

 

私のように未熟児で生まれた人間は、本来の自然環境であればとっくに死んでいたはずの典型的な「弱者」であるが、たとて五体満足で生まれたとしても、大半の人間は原始時代の自然環境の中では何のクリエイティビティも発揮できず生き残ることが出来ない「弱者」に違いないのである。

クリエイティビティとは、自分で判断し自分で行動することである。自分で判断するからにはその責任は自分にあり、他人には一切負担をかけることはない。この覚悟のない者は、危険に満ちた厳しい自然環境を生き延び子孫を残すことはできない。

 

クリエイティビティを発揮できない弱者は、自分が何をすべきかを他人に決めさせ、その責任を他人に負わせている。現代の民主主義においては、クリエイティビティを発揮できない民(弱者)が主人となり、クリエイティビティを発揮するごく一部の強者を使役する。

 

弱者は強者に対して不満を持ち、恨みを抱くが、それは強者どもが自分たちにに対し十分なお世話ができていないことに対する不満なのである。

 

また弱者は自分たちがだけが貧乏を強いられ、強者たちだけが贅沢を楽しんでいるだろうと恨みを抱いているが、強者は贅沢する以前にさまざまな「責任」からそのリスクを負っているのであり、弱者はそれに耐えることはできないのである。

 

あるいはクリエイティビティを発揮できない弱者にどれだけ金を与えても、その金を使って自分が楽しむだけのクリエイティビティを弱者は発揮できない。だからいくら金があっても虚しいだけで、それが「分相応」と言われる。

信仰と保留

ニーチェ『反キリスト者』を引き続き読んでいるが、思った以上に難しくて難航している。この難しさは、もしかしてキリスト教そのものの難しさかもしれない。確かにキリスト教は、自分がクリスチャンでもなく、聖書は一応読みましたと言える程度の立場からは難しい。

 

そもそも宗教の問題は難しい。だからニーチェを読むのも難しくなる。今のところ私が理解しているのは、宗教とは本質的に「国家宗教」だと言うことである。王が神から王として任命され、神の名の下に法律を制定しなければ、国家というものは成立しない。

 

現代の日本人は、神の存在など非科学的であるというに、なんとなく無神論的に考えているが、一方では徹底した無神論者になり切れずに、神の存在の問題について結論を出さずに「保留」している。この「保留」は、その意味で神の存在を認めていると言う形での、確固たる信仰だと言える。

 

日本人の多くは明確な形での信仰対象を持たないにも関わらず、「神が存在しないこと」を心のどこかで疑って、それについての判断を「保留」している。日本人が使う日本語という言語に、日本人に特有の「神」の概念が組み込まれている。

 

そのような形で、日本人に特有の「モラル」が形成されるが、モラルとはそもそも宗教無くしては成立し得ない。社会的モラルこそが宗教の現れであり、モラルこそが「神」である。だから「神」の居ないところにモラルは存在しない。そして世界の至る所、宗教が定着せずモラルが定着しない国や地域がある。

 

日本には「日本教」なるものが確かに存在する。その存在の仕方はキリスト教や仏教とはずいぶんと異なるが、確固として「日本教」と言えるものは存在する。その存在は終戦後に日本を占領したキリスト教国のアメリカの方が、より明確に認識していたのかもしれない。

 

終戦後のアメリカはマキャベッリの仕方によって日本を占領した。つまり現地人の宗教を破壊せず、そのままの形で残すことで占領を容易ならしめたのである。つまり「日本教」はアメリカによって生かされたのではなく、アメリカによって廃止できないほどに日本人は「日本教」と一体化していたのである。

 

宗教とは何か?は「日本教とは何か?」の問題を明らかにしなければ、少なくとも我々日本人にとっては見えてこないだろう。それは宗教とはそのあり方が多様であり、どのような形態の宗教が存在しうるのか?という認識の問題でもある。

 

要は宗教とは、モラルを持った国民によって国家が形成できれば、その内容や形式はなんでも構わないのである。しかし番人が満足しうる宗教=モラルのあり方は存在し得ず、それがニーチェの指摘する文明に特有の「強者」と「弱者」の問題である。

 

そのようなわけで、ニーチェの読み方が少し分かって来たのだが、ニーチェは一つには宗教を問題にしているのだから、ニーチェを理解しようとするのではなく「宗教とは何か?」を考えながら読んでいく方が“理解”ができるようになってくる。

 

宗教、と言っても普遍的宗教というものがあるわけではなく、宗教はそれぞれに異なっていてそれぞれに特殊である。だからニーチェが述べるキリスト教の特殊性を理解しようと思ったら、「日本教」をはじめとする様々な宗教の特殊性を知って比較しなければならない。

自分と興味

私達にとって、自己こそ見知らぬ者であらざるを得ない。私達が自らを理解することなどない、私達は自分を他人と間違えざるを得ないのだ。私達には「誰もが自分からもっとも遠い者である」という命題が永遠に当てはまるのだ。私達に自分については「認識者」ではないのである…

ニーチェ 『道徳の系譜学』

 

ニーチェのこの言葉を読むと、ニーチェの認識がフロイト精神分析に先駆けているのがよく分かる。デュシャンの墓石に「死ぬのはいつも他人ばかり」とあるが、人は「他人の死」を通じてのみ自分の死の可能性を知るのである。

 

有り体に言えば、人は自分の欠点は分からずとも、他人の欠点はよく見える。だから他人の欠点をよく見て、自分の欠点を知るのである。自分を知ろうと思ったら、他人を知らなければならず、そのためには自分がこれまで全く知らなかった内容が記された本を読む必要がある。

 

自分が知らないことについて書かれた本の中に、他ならぬ自分のことが書いてある。自分がこれまで全く興味を持たず、知ろうともしなかった事が書かれている本の中に、自分についての核心が書かれている。

 

多く人は自分に興味がなく、自分のことを知ろうともしない。だから自分が興味を持たず、知ろうともしないような事柄の中に、自分の本質が隠されている。だから数学に興味がない人の本質は数学の中に隠され、政治に興味がない人の本質は政治の中に隠され、音楽に興味がない人の本質は音楽に隠されている。

 

自分にだけ興味があって、他人に対し興味を示さない人は、実のところ自分に興味を示してはいない。そのような人は「自分が知っている範囲の自分」だけを知って満足し、それ以上の「自分とは何か?」に興味を持たず、つまり自分には興味がない人なのである。

 

本当に自分に興味がある人は、自分を知るために他人を知ろうとし、他人に興味を示す。デュシャンの墓石「死ぬのはいつも他人ばかり」の言葉どおり、人は他人を知ることを通してのみ、自分を知ることが出来るからである。自分を知ると言うことは、自分と他人とを積極的に取り違えることでしかない。