哲学・科学・宗教

ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』読みながらtweet

誰のアドバイスも信用できない。なぜなら誰の判断にもバイアスがかかって間違っているからである。では自分の判断はどうか?と言えばこれもバイアスがかかって間違ってる。ではバイアスを取り除いた判断はどのようにすれば良いのか?判断、つまり未来の予測…

休息と暇つぶし(ニーチェ『ツァラトゥストラ』読みながらTweet)

哲学とは先ずなりより学ぶものであるが、自分なりに学ばなければそれは哲学にならない。つまり学校の勉強のように哲学について「皆と同じこと」を学ぶのを哲学とは言わない。 哲学の本質の一つは「変容」であり、例えばニーチェの哲学にしてもニーチェの意図…

芸術と芸術の出来損ない

言語と現実は結びついている。と言った場合、二つの立場が考えられる。一つは「まず言語が先にあって、それによって現実が立ち現れる」とする立場。もう一つは、「まず現実があって、そこに言語を当てはめている」とする立場である。そして私の「非人称芸術…

文明と宗教

「宗教」についてさらに分かってきたのだが、まず先日、東京国立博物館で見た『快慶・定慶』展について。一般に「運慶・快慶」と並び称される鎌倉仏師の二人だが、それ以前に同じ東博で見た『運慶展』の運慶と、今回見た快慶とそして定慶とは、文字通り雲泥…

二つの世界と二つの正しさ

正しい答えは常に一つではなく二つある。なぜなら世界は二つに分かれているから。 つまり文明は必然的に二つの世界を作り出す。そこに二つの異なる正しさが生じる。 文明は必然的に支配者と被支配者、管理者と被管理者、強者と弱者、能動的な者と受動的な者…

才能論と予定説

マックス・ヴェーバーが示すカルヴァン派の「予定説」だが、理解のために自分に引き寄せて考えると、例えばアーティストは自分には「才能がある」と、すなわち「選ばれた人間」だと確信するためには実際に優れたと言える作品を作ってそれを証明しなければな…

王と常識

金持ちが金から金を生み出すように、知識から知識を生み出す人がいる。一方で貧乏人が金から金を生み出せないように、知識から知識を生み出せない人がいる。知識から知識が生まれないのは「常識」が邪魔をしているからである。 その人の中で「常識」が知識の…

覚悟と思想

高橋由一の自画像、改めて見るとクソのように下手くそで呆れるが、最近よく分かったのは絵が下手な人は「上手くなろう」という「覚悟」が無いこと。北斎にはその「覚悟」があって死の間際までそれを貫き落とした。由一は覚悟が全然なくて「素材」で誤魔化し…

ニーチェと資本主義

資本主義の「資本」とは単なるお金ではなく「お金を増やすためのお金」である。そして「お金を増やすお金」であるところの資本は金額が幾らでも良いと言うわけではなく、「一定程度以上の大きな額のお金」を指す。だから資本主義とは単なるお金主義ではなく…

ニーチェの言う「強者」の特徴

強者とは、過酷な自然環境を生き延びてきた原始的エリートの末裔である。その遺伝子は厳しい自然環境によって選別される。これに対し弱者とは、本来の自然環境では生きられない、文明成立後に発生した新しく選別された遺伝子を持つ種族である。 強者とは野生…

理解とコピー

自分が理解したことは自分にしか理解できない。つまり、自分が理解したことを他人に理解させることはできない。同時に他人が理解したことは自分には理解できない。他人が理解したことを自分で理解するには、結局は自分で考えて自分なりに理解し直さなければ…

文明と前提

ようやくニーチェ『道徳の系譜学』を読み終えたが、これは非常に難しい本。そもそも初期仏教とユダヤ/キリスト教を真っ向から否定しており、これを読んですぐに「理解した」と言うような人は、それらの教えから感銘を受けた経験がない可能性があるので、信用…

「勝つための修行」と「戦わなくて済む方法」

引き続きニーチェを読みながら書いているが、天才とはニーチェよれば自分の能力をカテゴリーを超えて拡大しようとする意思のある者、そのための努力をする意思のある者、すなわち未知の領域を切り開く意思のある強者を指す。 文明は必然的に人間に精神病をも…

才能と境遇

人間社会は本質的に「病気」を抱えている。つまり「文明」とは、原始時代には病気でしまうような人間も、治療して保護して生かしている。私のように未熟児で生まれた子供も、保育器によって生き延びさせる。そのようにして文明は、必然的に「病的な者」「弱…

ニーチェ『道徳の系譜学』

遅ればせながらようやくニーチェが読めるようになったのだが、これは恐ろしい本! 『道徳の系譜学』第一論文の途中までしかまだ読んでいないのだが、戦慄すべき内容にあらためて驚いてしまう。こんな本が翻訳されて出版されるのだから、今の日本はつくづく「…

意識と観念

人間の精神に「無意識」の領域があることを示したのはフロイトだが、無意識がない人間は存在するのか?これを反省的に考えると、私が美大時代に絵を描こうとしても描けなくて画家への道を断念したのは自分に「無意識」が存在しなかったからだと考えることが…

ブッダとフロイト

『ブッダのことば』(中村元訳/岩波文庫)再読したが、紀元前300年ごろに編纂された最古の仏典は、フロイトとそれを引き継いだラカンの精神分析と極めて内容が似ている。 ブッダは己の精神を「観察しろ」と説いているが、精神とは「欲望」であるとも説いてい…

ブッダによるデカルト批判

古代インドの最古の仏典『ブッダのことば(スッタニパータ)』(中村元訳/岩波文庫)を読んでいたら、下記の一節があって驚いたのですが、 ====== 九一六 師(ブッダ)は答えた、「〈われは考えて、有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉の根本をすべて制止せよ…

江戸時代に縄文文化はなかった

昨日は上野の東京国立博物館で『縄文展』を観ましたが、縄文文化とはなにか?ということをウィキペディアで確認すると、なんと江戸時代には文化はなかった! どういうことかと言えば、日本の縄文文化は明治になって来日したアメリカの博物学者エドワード・モ…

文明と弱者

news.livedoor.com なかなかに過激な放送がNHKで放映されて、賛否両論のようです。 それで私の意見としましては、まず文明以前の原始時代の人類は、過酷な自然環境の中を生きていて、だから障害者どころか少しでも弱い人間はバタバタと死んで行き、だから人…

仏教とメディアリテラシー

仏教、と言ってもいろいろあるのですが、私が最近読み返してるのが『ブッダのことば』で、これは現存する最古の仏典で、キリストが生まれる300年も前に書かれたものです。 仏典とは何か?と言えば、仏教の開祖であるゴーダマ・ブッダは自分で本は書かないで…

ハンムラビ法典と伊東乾批判

アエラの記事ですが読んでる途中、2ページ目に下記の記述があって「あれっ⁈」と思ったのですが、 「残された時間を精一杯生きる」と、落ち着いた表情で語る豊田君と、私はブロックチェーンや暗号の数理を考え、エジプト式分数を一緒に計算し、古代ハンムラビ…

Facebookと哲学カフェ

「哲学カフェ」って言葉、最近目にするようになって何だろう?と思って調べてみたら、フランスの哲学者マルク・ソーテさんが1990年代に始めて、それが世界各地に広まったのですね。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/マルク・ソーテ 広まったのは、マルク・…

洗脳はメイドインチャイナ

「洗脳」についてあらためて調べてみたら、この言葉を最初に使ったのは朝鮮戦争時代の中国共産党で、捕虜となったアメリカ軍兵士に共産主義を信奉するよう「洗脳」を施していたとのことで、この言葉が意外に新しいのと、メイドインチャイナであることがちょ…

なぜ理系のエリートたちがオウムに入信したのか?

先日死刑が執行された元幹部をはじめ、理系のエリートたちがなぜオウムに入信し、凶悪犯罪に手を染めたのか?という疑問についてです。 これは、各自のウィキペディアを見て確認できるのですが、下記にオウムの科学系の元幹部、村井秀夫、遠藤誠一、土谷正実…

洗脳のテクニック

私は特に「洗脳」の分野に詳しいわけではないのですが、しかしつい先日、その「洗脳のテクニック」の一端を垣間見る経験をしたのでした。 それはもうブロックしてしまった、私のFacebookコメント欄に出現した「荒らし氏」ですが、どうも私に「洗脳のテクニッ…

常識と支配

常識とは何か?哲学をやって分かることは、人は面白いほどに常識に捕らわれる。ごきぶりホイホイのネバネバした粘液に捕らえられているにもかかわらず、「私はこの家に住んでいる」と言い張る、常識に捕らわれた人はそのようなものである。 デスモンド・モリ…

イデオロギーとウィルス感染

www.youtube.com 相変わらず冷戦のオベンキョーで見てましたが、だんだん分かってきたのは、イデオロギーとはウィルスのようなもので、人はウィルスに感染するように、集団的にイデオロギーに染まるのではないか?という事です。 これは福沢諭吉が述べていた…

ムッソリーニをコピーしたヒトラー

www.youtube.com youtubeで冷戦の番組を見終わったら関連動画で出てきたのですが、20世紀の独裁者、ムッソリーニ、ヒトラー、スターリン、の番組です。 これはテレビ画面をビデオカメラで撮った映像のようですが、これだとNHKからお目こぼしがあるのか…? と…

共感性・再現性・創造性

yuiga-k.hatenablog.com Facebookで知った記事だが、これがスゴイのは「天才は創造性を目指し、秀才は再現性を目指し、凡人は共感性を目指す」と気質によってその目指すところの違いを明らかにした点で、その意味でこの三者に本質的な「優劣」は存在しない。…