哲学・科学・宗教

ユーザー・ブリコルール・エンジニア

認識論的に言えば、人はユーザーと、ブリコルールと、エンジニアとに分かれる。ユーザーは一般常識に対し疑いなく従う人々。ブリコルールは常識をベースに工夫を施す人々。エンジニアは常識を疑い根底から覆そうとする人々、というふうに整理分類できる。 ユ…

視覚と動き

知覚についての覚書。動物の知覚は動いている対象物と、動かない環境とをどのようにして判別するのか?動物が自分の体を移動させると、それに連動して視覚情報も変化する。自分の体の動きと、視覚情報の変化が「連動」している場合、その視覚情報は「動かな…

卓越したエンドユーザー

現象学的に言えば、全ては自分の主観のうちに生じた現象であるが、他者にもまた自分と同様の主観を有し、その主観にもまた同様の現象が生じているように、自分の主観のうちに現象している。 これは人間以外の動物も同様で、動物個体はそれぞれに主観を有し、…

認識と時間

時間とは何か?あらゆる認識は、時間を介することによって成立する。認識とは関係の認識であり、時間を介さなければ関係の認識は成立しない。 光についてその強弱だけを認識する単純な生物がいたとして、その生物は光の「強」と「弱」の関係を時間を介して認…

生活世界とインターフェース

生活世界は確かに存在する。生活世界は氷山の一角で、 見えない海中の氷山にはどのような世界が存在するのか?…何れにしろ生活世界に埋没する限りそれが世界の全てだと認識され、生活世界そのものを対象化されることはない。従って生活世界そのものの存在を…

言語による認識と、言語によらない認識

人間は言語によってのみ認識しているのではない。人間は言語による認識と、言語によらない認識とを併用している。言語によらない認識とは何か?と言えばこれは言語によらない象徴作用であり、動物的な象徴作用だと言える。 言語によらない象徴作用とは何か?…

具体性と象徴性

具体性とは何か?もしかすると具体性なるものは存在せず、我々は象徴性と具体性とを取り違えているだけなのではないか? 例えば、目の前に見える風景を写実的な具象画として描こうとする場合、目に見えるもののそれぞれを改めて象徴化して捉えなおさなければ…

言語・象徴・具体

言語を使う人間と、言語を使わない動物の差は何か?言語を使わない動物より、言語を使う人間の方が環境の利用率が高くなる。人間が環境に存在するあらゆるものに名前をつけることによって、そのものが利用可能になる。 ヒトの言語はウグイスのさえずりのよう…

ユーザーとブリコルール

レヴィ=ストロースはエンジニアとブリコルール(器用人)とを対置させたが、他にエンジニアの対立概念としてユーザーを置くことができる。そう考えるとあらゆる生物はユーザーであり、ユーザーとは生物としての本質だと言える。 例えばカエルという生物は、…

言語とオーバーテクノロジー

リバースエンジニアリングをするには自分もエンジニアでなければならない。エンジニアとは何か?その人は物事の原理を知っている。原理とは何か?原理とは理屈であり理屈とは言語である。原理を知るエンジニアはエンジニアリングとしての言語とは何かを知っ…

専門家と評論家

もし、自分で料理を作らない料理評論家がいたとして、この人は専門家と言えるのか?専門家=エンジニアと定義するなら、料理を作らない料理評論家はエンジニアではなく専門家とは言えない。 だから料理を作らない料理評論家の評論は「美味しい」「不味い」「…

エンジニアリングとブリコラージュ

リバースエンジニアリング(Reverse engineeringから。直訳すれば逆行工学という意味)とは機械を分解したり製品の動作を観察したりソフトウェアの動作を解析するなどして製品の構造を分析し、そこから製造方法や動作原理、設計図などの仕様やソースコードな…

客観と類

常識を基盤とした思考と、常識の基盤とは何かを思考する思考とがある。 言語は自分で作ったものではなく、自分が生まれる以前から存在し、他人から教わるものである。 他人から教わらなければ、自分にとって言語は存在しないし、言語を言語として機能させる…

デッサンとエンジニアリング

伝統的にエンジニアリングの本質は美術にあったのである。いわゆるエンジニアリングが存在しなかった産業革命以前において、エンジニアリングの本質は一つには美術に存在した。 それが産業革命以後、エンジニアリングの本質はいわゆるエンジニアリングに移行…

劣等感と解消

モチーフと技法は芸術にとってはどちらも不可分である。私の場合は、けっきょく好きなものを好きなように表現してきたのだが、そのモチーフと技法について、どちらについてもいろいろ理屈をこねてきた。それはそうしなければ、作品を展開することができず、…

秩序と無秩序

原始に還元した美術。現代人は悪しき理性によって、個人の本来性を抑圧してるのであって、それを解放することが芸術表現になる、と言う岡本太郎の主張。 非人称芸術の前提には才能論があり、その敗北がある。人の能力の優劣は努力では決して埋められないと言…

近代とイデオロギー

ようやく分かってきたのだが、イデオロギーとは近代の産物なのである。つまり近代化によって、伝統的なそれまでの価値観が全否定されると、新しいイデオロギーの構築が必然的に必要になる。 私の非人称芸術が共産主義の影響を受けていたという以前に、そもそ…

オブジェと共産主義

お金を何となく汚いものと思うのも、アートとお金は根本のところで無関係だと思うのも、ものを正せば共産主義の影響を無自覚的に受けているのである。自らの共産主義は浄化されなければならないが、そのためには自らの共産主義を対象化し、自覚化しなければ…

安心と既成

私自身、安心への志向性が強かったのは、まずは明瞭に自分は劣っているという意識があったのだが、それは明瞭に学校の成績によってそのように明瞭にランク付けされたからである。いやそれで安心を得る道はただ一つで、勉強すればいいだけの話だが、私にはど…

権威と自然

権威の否定には二重の意味がある。一つは実質的が無いにもかかわらず権威だけがある状態に対する否定。もう一つは権威そのものの否定である。ところが、権威を否定しようとする側の者も「自分にこそ権威がある」と主張するのであり、誰も権威そのものを否定…

認識と志向性

私の場合は「階級闘争」などという言葉は一応聞いたことがある程度で、それが具体的に何を意味するのかは知らないし、自分には全く関係のない古い時代の概念だと思っていたのだが、いま改めてマルクスとエンゲルスの『共産党宣言』を読むと、私自身の思考の…

幽霊と共産主義

ヨーロッパに幽霊が出る__共産主義という幽霊である。と言うのはマルクス『共産党宣言』の書き出しだが、反省すると結局のところ私自身も共産主義の亡霊に取り憑かれていたに過ぎなかった。 私が物心ついた頃は、全共闘運動などの日本の左翼運動は終わって…

純粋と総合

極端の対義語は総合でもある。極端な人は総合力を欠いている。中庸は総合の類義語でもあって、中庸でいるためには総合力を必要とする。極端はまた純粋の類義語でもあり、純粋は総合の対義語でもある。

現代人と野生の思考

「生活者」として必要な事は、ブリコラージュの素材となる引き出しをいかに多く持つか、という事だが、現代人の多くが実にこの引き出しの数が少ない。対してレヴィ=ストロースが報告する未開人は引き出しの数が多くサバイバル能力が高い。現代人は「野生の思…

考えと記号

考えが前に進まないときは、考えそのものがブリコラージュに陥っていて、考えの対象が記号化しそれ以上分解不可能になっている。例えば「芸術が分からない」といった場合の「芸術」や、金儲けの仕方が分からないと言う場合の「金儲け」がそれに当たる。 エン…

専門家と素人

最近、集中的に反省したおかげで、だいぶ分かってきたのだが、私には美術家として気負いがあったせいで、美術に対しかえって「不透明」な態度で接していたのだった。 これに対し後から学ぶようになった哲学に、私は何の気負いもなく、つまり「自分の哲学を打…

意味と間違い

私の間違いは、非人称芸術を語ろうとして、芸術を語ろうとしなかった点にあった。芸術を語るとは、芸術を総合的に捉えて語ることである。このため非人称芸術も芸術の枝葉の袋小路の一つとして語る必要がある。なぜなら芸術には同様の行き止まりの枝葉が、事…

一般と特別

自分が「特別な自分」であるならば、時代や地域などの状況に関係なく自分は「自分」として存在する。しかし自分が「一般的な自分」であることを自覚するならば、「自分とは何か」を知るために自分が属する時代や地域の状況を知ることは、極めて有効となる。 …

環境と知性

『野生の思考』を再読しようと思って、まずは最後のサルトル批判の『歴史と弁証法』から読んだのだが、フッサールやラカンに比べたら簡単かと思ったら、思ったより難しくて手強い(笑)しかし私は時代的にこの影響を大きく受けているはずなので、その確認の…

敗戦と日本人

極端と中庸。岡本太郎の芸術論も、赤瀬川源平の超芸術トマソンも、私の非人称芸術も「極端」であり、特定の時代と地域に根ざして偏向しており、普遍性がない。これに対して中庸とは特定の時代や地域を越えた普遍性であり、一般性である。 そこで岡本太郎の芸…