アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

哲学・科学・宗教

共感性・再現性・創造性

yuiga-k.hatenablog.com Facebookで知った記事だが、これがスゴイのは「天才は創造性を目指し、秀才は再現性を目指し、凡人は共感性を目指す」と気質によってその目指すところの違いを明らかにした点で、その意味でこの三者に本質的な「優劣」は存在しない。…

人間と真実

ウィリアム・ジェイムズ『プラグマティズム』を読んでいるが、「事実は移り変わる」という「事実」が存在する。すなわち、かつて私にとって「非人称芸術」と紛れもなく「事実」であったが、今やさまざまな状況証拠からそれが「事実ではない」と認められるよ…

ヒトラーを生み出したワイマール憲法

https://www.y-history.net/appendix/wh1601-075_1.html色々調べてたら、現在のドイツの「ボン基本法」とそれ以前の「ワイマール憲法」との違いを分かりやすく解説した記事があって、なかなか興味深いです。 1919年ドイツ共和国(ワイマール共和国)で制…

戦争罪悪感プログラム

ウィキペディアの「連合軍占領下の日本」の関連項目から、この時代にGHQによる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と言うのがあったのを初めて知りました。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラ…

子供はなぜ勉強しなければならないのか・3

子供はなぜ勉強しなければならないのか?と言う問いの一方には「勉強が嫌い」と言う思いがあるのですが、ぼくも子どもの頃は勉強が好きな方ではなかったのです。ところが子供の頃、そうやってイヤイヤながら勉強した事が大人になってからかなり役立っている…

宇宙観と理論

議論が成り立つ条件とは何か? いくつかあるでしょうが、今ちょっと読んでるウィリアム・ジェイムズ『プラグマティズム』冒頭に記された考えを借りれば「宇宙観の一致」がひとつ大きいとではないかと思います。 人間は人それぞれに「宇宙観」を持っていて、…

子供はなぜ勉強しなければならないのか・2

なぜ勉強しなければならないのか?「なぜ○○なのか?」「○○とは何か?」と言う問いの答えを見つけるには「歴史」を遡って考えるのが一つの方法です。それで個人の歴史を遡ると、どれだけ勉強が苦手な子供でも、日本語が喋れる限り「日本語を習得した」という…

子供はなぜ勉強しなければならないのか・1

子供はなぜ勉強しなければならないのか?その理由はいくつか考えられますが、まず一つは「なぜ勉強しなければならないのか?」などと言う余計な疑問を持たないことです。 親や先生から「勉強しなさい」と言われ、「子供は勉強するもんだ」などと言われ、その…

大衆と淘汰

オルテガによると大衆とは自ら能力を高めるための努力をしない人を指す。なぜそのような人が大量に存在するのか?原始時代の人間は実はエリート集団で無能者は淘汰される。ところが文明時代になって淘汰されるべき無能者でも生き延びられるようにシステムが…

写実と愚直

ネルソン・グッドマン『芸術の言語』という本を読んでいるが、これによると写実絵画は実物の再現ではない。と言うことは、写真も実物の再現ではない、と言うことになる。少なくともアフォーダンス理論によれば、写真は人間の視覚の再現ではなく、写真と人間…

ガッツさんにもわかる哲学

www.nhk.or.jp NHKに子供むけの哲学番組があり、ネットでも視聴できます。哲学を語るウサギの声がガッツ石松で、あのガッツさんでも分かる哲学というところに驚きがあります。監修は立教大学の河野哲也教授で「哲学カフェ」を主宰されている方です。大人が見…

国家革命と自己革命

【自己実現の一歩】心の中に主流として存在しているものを排除する。それはまさに革命である。しかしとにかく革命をして心の底にある自分の実際の感じ方を復権させることである。 自分を受け入れることが自己実現への道。(加藤諦三先生) 自己革命は一度な…

www.toibito.com 内田樹先生の文章も、10年くらい前までの一時期は、それこそ片っ端から買って読んでましたが、今読むと色々とヘンな箇所に気づいてしまいますね… 例えばユダヤ教のラビと、キリスト教の神父や牧師を比較されていますが、そもそも新約聖書を…

芸大と学歴

ayaka-tanamura.net 誰かがシェアしていた記事でしたが、元の投稿が誰だかわからなくなって再検索して探し出しました。 最初に見たときは、大手メディアのインタビュー記事かと思ったのですが、改めて確認したら藝大生が本人のブログに書いた記事でした。 な…

内田樹 検証Blog

www.toibito.com 内田樹先生の文章も、10年くらい前までの一時期は、それこそ片っ端から買って読んでましたが、今読むと色々とヘンな箇所に気づいてしまいますね… 例えばユダヤ教のラビと、キリスト教の神父や牧師を比較されていますが、そもそも新約聖書を…

外山滋比古 検証blog

president.jp かなり酷い内容の記事ですが、まず読書を「知識を詰め込むため」という風に一律に規定するのがおかしい訳です。 例えば小説ですけれども、小説というとは一般的に知識を詰め込むために読むものなのでしょうか? また、哲学のようないわゆる知的…

言語論と聖書

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。…

対話と好奇心

私よりさきに生をうけた人々があらゆる有益で必須な主題を自分のものとしてとってしまったから、私は非常に有益な、または面白い題材を選ぶことができないのを知っている。#ダ・ヴィンチ それで私は、ちょうど貧乏のため一番あとから市場に到着したが、他に…

反省と分裂

人間、他人のことをとやかくいうのは簡単だが、自己反省というのはなかなかに難しい。何故なら他人は自分ではないから客観的に見ることができるが、自分は自分なのでそれができないのである。 だから自己反省をするには、自分をあたかも他人のように突き放し…

欲と芸術

『老子』第1章「常に無欲を以て其の妙を観、常に有欲を以て其の徼を観る」とあるが、実に「非人称芸術」とは「欲」の問題であった。つまり、このコンセプトの根底にあるのは「芸術だと思えばなんでも芸術に見える」と言う原理であり、それは「欲」の問題なの…

言葉と定義

言葉には定義がない。つまり言葉とは、西田幾多郎先生が述べた如く直接知覚である。 例えば「人間」という言葉の定義を考えても、その内容は非常に曖昧なものを含み、一義的に定義できない。生物学的に考えても、それを進化論的に見れば、ホモ・サピエンスの…

哲学と左翼

今なら分かりますが、中島義道先生のこれは自分のことを言っておられますね…私も中島義道先生の本は一時期片っ端から読んでましたが、ちゃんとした哲学書を読むようになって「卒業」したのでした。 売れる本を書ける人はごまかしのうまい人が多く、内容の貧…

充溢と空虚

自分と他人とは何が違うのか?と言えば、人は皆等しく空虚なのである。だから違いと言えば、自分が空虚であることを自覚する人と、自分は充溢していると思いなしている人の二種類とがある。 自分が充溢していると思いなしている人も、そのように全く思ってい…

恣意性と無意識

改めて気づいたのだが、自分は恣意性とか偶然性が何なのかがよく分かっていなかった。それは端的に言えば、現代的にはフロイト的な無意識によって解釈すべきである。だが以前の私は、フロイトの無意識をきちんと理解していなかったために誤解があった。 以前…

イメージと結果

目に見えるあらゆる事物は「結果」でしかない。素朴な感覚の人間の目には「結果」だけが見えている。実に多くの人々は「結果」だけを見てあらゆる判断をしているのである。 目に映るあらゆるイメージは「結果」でしかない。 結果だけを見る人は可能性を見な…

原因と結果

フロイトやラカンを読んでいると、人はしばしば結果と原因とを取り違えている、と言うことがよく分かる。と言うよりも、人間は最も根源的なところで結果と原因とを取り違えいる。なぜなら全ての人間にとって、結果だけが無前提に与えられているからである。 …

無意識の主体

posted at 03:38:52 彦坂尚嘉先生からラカンの『エクリ』を借りて冒頭だけ読んだら、ちんぷんかんぷんで取りつく島もない…と言うほど分からなくもない!もちろん「分かる」とは言い切れないですが。 ラカンは『エクリ』冒頭で、「シニフィアン連鎖の自己主張…

非人称と無意識

今頃になってはたと気づいたのだが、私が主張していた「非人称芸術」はフロイトの無意識をきちんと知らないまま、そのように主張していたのだが、そうすると実は私はずいぶん遠回りしながら結局は無意識の問題を追っていたのである。 フロイトの著者に『機智…

動物と想像界

この鳥(駒鳥)が赤い胸羽を示すことは縄張りの主張であり、この赤い胸羽を見せるだけで、相手に或る行動を引き起こすことが観察されています。赤という色は、この場合、想像的機能をもっているわけです。 この想像的機能が、了解関連という次元へと翻訳され…

他人と肉親

イエス・キリストの凄いところの一つは、母親との直接的な血縁関係よりも、「人類皆兄弟」という広範な視点による血縁関係を優先したことにある。イエス・キリストにとって母マリアは、大勢いる自分の兄妹たちの一人に過ぎない。 他人が「自分ではない他の人…