アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

サイエンスフィクションと現象学

フッサールの『現象学の理念』を久々に再読したんですが、もう10年以上前に読み始めて、それで何年かかけていちおう現象学は分かったといえる地点まで来たんですけど、もちろん「分かった」といっても「分かる」ことに限界はなく、繰り返し読む価値があるん…

子供の哲学・フッサールの存在を信じて疑わない現象学・竹田青嗣『新・哲学入門』

最近、また哲学の入門書の研究をしようと思って、竹田青嗣先生の『新・哲学入門』(講談社現代新書)という本の、冒頭の第1章だけ読んでみたんですけども、私が考える哲学というものとずいぶん違うんですね。 新・哲学入門 (講談社現代新書) 作者:竹田青嗣 …

フッサールの存在を疑わない現象学

最近、また哲学の入門書の研究をしようと思って、竹田青嗣先生の『新哲学入門』という講談社現代新書で去年出たのかな、その冒頭の第1章だけ読んでみたんですけども、私が考える哲学というものとずいぶん違うんですね。 まあ違うだろうということは分かって…

開放系の論理と 閉鎖系の論理

youtu.be 「開放系」「閉鎖系」という言葉自体、私はその昔フラクタル理論の本で学んだんですね。 伝統的なというか、古い時代の科学というのは実験室で行う、その意味で言うと閉鎖系の科学なんですけども、新しい時代の複雑系科学というのは実験室ではなく…

イデオロギーの抽象化

最近の私は「宗教の抽象化」ということを述べてますけども、それ以前にね、そもそもイデオロギーというもの自体を抽象化しなければならないというふうにして、改めて思ったんですね。 そもそもで言うと、イデオロギーというものは具象的なものなんですよ。 …

言語とは翻訳である

">前回は聖書を引き合いにして、全ては言語であるという話をしましたね。 youtu.be ">新約聖書のヨハネの福音書ですね。で、もう一回ね冒頭を読んでみますけども、 初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。この言葉は神と共にあった。万物は言葉によって…

言語の普遍性

人間の特徴として「人間は言語を話す」という点を挙げ、それが他の動物とは違うのだとすると、それは「言語の普遍性」ではなく「言語の特殊性」を述べたことになります。 youtu.be ところが『新約聖書』の「ヨハネによる福音書」第一章の書き出しは、下記の…

芸術の時代と、芸術ではない時代

芸術の時代と芸術ではない時代 昨日ね、長野の小布施町の北斎館、葛飾北斎の美術館ですね、実家に帰省するたびにそこ観に行くんですけども、素晴らしい北斎の作品が展示してありまして、それでとにかく全然見たことない作品が並んでましたね。 youtu.be 北斎…

権力としての哲学

そもそもですね、現代の我々というのは私もそうですけども、私に限らず左翼の毒に侵されているとね、そういう風に思う訳ですよ。 youtu.be ですからその左翼の毒抜きをしなきゃいけないと言う風にして思う訳ですよね。 でその意味で言うと、そもそも文明とい…

相争う哲学的見解を超えて怒りを鎮める方法

*こちらの動画の文字起こしです。糸崎公朗です。 今回もこの『ブッダのことば』なんですけども、これを私は再びちょっとずつ、かみしめながら、よく考えながら、吟味しながら、読んでいこうとしてるわけなんです。 ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫…

顕教と密教

以下、空海の『三教指帰』(さんごうしいき)を読んで連続tweetしたまとめです。 空海「三教指帰」―ビギナーズ日本の思想 (角川ソフィア文庫) 作者: 加藤純隆,加藤精一 出版社/メーカー: 角川学芸出版 発売日: 2007/09/22 メディア: 文庫 購入: 1人 クリック…

ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』読みながらtweet

誰のアドバイスも信用できない。なぜなら誰の判断にもバイアスがかかって間違っているからである。では自分の判断はどうか?と言えばこれもバイアスがかかって間違ってる。ではバイアスを取り除いた判断はどのようにすれば良いのか?判断、つまり未来の予測…

休息と暇つぶし(ニーチェ『ツァラトゥストラ』読みながらTweet)

哲学とは先ずなりより学ぶものであるが、自分なりに学ばなければそれは哲学にならない。つまり学校の勉強のように哲学について「皆と同じこと」を学ぶのを哲学とは言わない。 哲学の本質の一つは「変容」であり、例えばニーチェの哲学にしてもニーチェの意図…

芸術と芸術の出来損ない

言語と現実は結びついている。と言った場合、二つの立場が考えられる。一つは「まず言語が先にあって、それによって現実が立ち現れる」とする立場。もう一つは、「まず現実があって、そこに言語を当てはめている」とする立場である。そして私の「非人称芸術…

無意識とクリエイティビティ

クリエイティビティとは本質的に無意識の作用で、無意識の作用とは「動き」です。 この逆に「動きがない」のは言葉の丸写し、文章なら丸写しで、そのには無意識が作用する余地がありません。 そして言葉の要約、文章の要約にも、無意識の作用はありません。 …

2019明けましておめでとうございます!

すいません、遅くなってしまいましたが、新年明けましておめでとうございます。 2019年もよろしくお願いいたします。 実はご挨拶が遅れてしまったのには理由があって、昨年末からYouTuberを始めまして、そうしたらそっちに軸足が移ってしまったのです。 ブロ…

文明と宗教

「宗教」についてさらに分かってきたのだが、まず先日、東京国立博物館で見た『快慶・定慶』展について。一般に「運慶・快慶」と並び称される鎌倉仏師の二人だが、それ以前に同じ東博で見た『運慶展』の運慶と、今回見た快慶とそして定慶とは、文字通り雲泥…

二つの世界と二つの正しさ

正しい答えは常に一つではなく二つある。なぜなら世界は二つに分かれているから。 つまり文明は必然的に二つの世界を作り出す。そこに二つの異なる正しさが生じる。 文明は必然的に支配者と被支配者、管理者と被管理者、強者と弱者、能動的な者と受動的な者…

才能論と予定説

マックス・ヴェーバーが示すカルヴァン派の「予定説」だが、理解のために自分に引き寄せて考えると、例えばアーティストは自分には「才能がある」と、すなわち「選ばれた人間」だと確信するためには実際に優れたと言える作品を作ってそれを証明しなければな…

覚悟と思想

高橋由一の自画像、改めて見るとクソのように下手くそで呆れるが、最近よく分かったのは絵が下手な人は「上手くなろう」という「覚悟」が無いこと。北斎にはその「覚悟」があって死の間際までそれを貫き落とした。由一は覚悟が全然なくて「素材」で誤魔化し…

王と常識

金持ちが金から金を生み出すように、知識から知識を生み出す人がいる。一方で貧乏人が金から金を生み出せないように、知識から知識を生み出せない人がいる。知識から知識が生まれないのは「常識」が邪魔をしているからである。 その人の中で「常識」が知識の…

ニーチェと資本主義

資本主義の「資本」とは単なるお金ではなく「お金を増やすためのお金」である。そして「お金を増やすお金」であるところの資本は金額が幾らでも良いと言うわけではなく、「一定程度以上の大きな額のお金」を指す。だから資本主義とは単なるお金主義ではなく…

ニーチェの言う「強者」の特徴

強者とは、過酷な自然環境を生き延びてきた原始的エリートの末裔である。その遺伝子は厳しい自然環境によって選別される。これに対し弱者とは、本来の自然環境では生きられない、文明成立後に発生した新しく選別された遺伝子を持つ種族である。 強者とは野生…

強者と和解

僧侶はただ一つの大きな危険を知っているだけである。すなわちそれは科学、ー原因と結果という健全な概念である。しかし科学は全体としては幸福な事情の元でのみ栄え、ー「認識する」ためには人は時間を、人は精神を、ありあまるほど持っていなければならな…

戦争と創造

文明は何を生み出したか?と言えば一つには大量の「非創造的なつまらない仕事」である。文明とは数々の「非創造的なつまらない仕事」によって成り立っている。それでは文明内において「創造的な面白い仕事」とは何か?ニーチェ的に言えばその筆頭は「戦争」…

前衛と責任

ニーチェを読みながらの続き。ニーチェやオルテガが言うように、現代は「奴隷」の世の中なのである。奴隷とは何か?それは奴隷の身分から解放されてもなお奴隷であろうとする人間、奴隷から解放されても貴族的な自由を謳歌せず、なおも誰かの奴隷になろうと…

信仰と保留

ニーチェ『反キリスト者』を引き続き読んでいるが、思った以上に難しくて難航している。この難しさは、もしかしてキリスト教そのものの難しさかもしれない。確かにキリスト教は、自分がクリスチャンでもなく、聖書は一応読みましたと言える程度の立場からは…

自分と興味

私達にとって、自己こそ見知らぬ者であらざるを得ない。私達が自らを理解することなどない、私達は自分を他人と間違えざるを得ないのだ。私達には「誰もが自分からもっとも遠い者である」という命題が永遠に当てはまるのだ。私達に自分については「認識者」…

強者と弱者

今読んでいるニーチェがなかなかに分かりにくいのだが、もう一度前提を確認しなければならない。それはニーチェははっきり述べてはいないようだが、ニーチェの言う「強者」と「弱者」の対立は「文明」に固有の問題で、なぜなら弱者は文明成立以前の自然環境…

戦争と幸福

ニーチェが教えてくれるのは、我々が見ている世界はことごとく「逆さま」であるということだが、実際に人間の網膜には重力に対して上下逆さまの像が写っているのであり(それは大判カメラのピントグラスを見ても分かる)それを脳内処理で補正しているのであ…