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『逆三角関係展Vol.26』9月8日(木)開催のお知らせ

9月8日(木)に開催の『逆三角関係展Vol.26』のお知らせです。隔週木曜日に新宿の「竹林閣」で開催する、一日展シリーズの26回目です。http://gyaku-sankaku.zombie.jp/kitaibunshi/今回はゲストアーティストに花牟禮有基さんと柳川たみさんを迎え、レギュラー…

第176回芸術分析塾ラカン 9月1日(木)

*彦坂尚嘉先生が塾長をつとめる「芸術分析塾ラカン」のお知らせです。私も18:00より写真史の授業をしますので、どうぞよろしくお願いします。12:00〜14:30 初期写真の名作3回目の、写真評論家の飯沢耕太郎さんの蔵書5000冊が有る写真食堂:…

才能と前提

私の言う「非人称芸術」は、「芸術は天才的才能の産物である」という定義が前提になっていたのだが、これは現在の私の中では否定されている。 確かに、この定義が実証されたような例が自分の身近で生じていたように思えたのだが、後で振り返ると自分が若い頃…

才能と成功

自分がいかに優れていようとも、それは自分のせいではなく、自分がいかに劣っていようとも、それは自分のせいではなく、人は奢る必要もなく、卑下する必要もないのです。 自分がどれだけ成功しようとも、それは自分のせいではなく、自分がどれだけ失敗しよう…

作品と切り取り

作品とは何か?と言えば作品に仕上げようという意識がなければ作品にはなり得ません。昨日はGoogleストリートビューで世界各地を旅してましたが、そこで見るパノラマ画像は「作品」という意識で作られたものではなく、なので明確に「作品」とは異なっていま…

中央と地方

「地方」においては、親も学校の先生も子供に勉強をさせようという気がなく、子供も押し並べてやる気がなく「中央」との格差が開いてしまう。そして例え地頭が良い子供でも、地方に生まれ育ってしまうと周囲に引っ張られ、結局は勉強しなくなってしまう。と…

理論とコピー

私は学生時代に自分の才能の無さをとことん思い知って、オリジナリティを追いかけることを放棄して、模倣に徹することにしたのです。しかしどう言うわけか、私が模倣をするとエラーが生じて別のものが出来上がり、それがいい塩梅に自分のオリジナリティにな…

距離と羨望

遅ればせながら『アナと雪の女王』をDVDで見て特にLet it go!の開放感に感動したのですが(笑)子どもの優れた能力を、世間体を気にした親が抑圧するのは良くあることです。自分の子供のみならず、一般に人は人の優れた能力を理解せず、それを否定し抑圧し…

自己と要求

西田幾多郎『善の研究』「第四編 宗教」の冒頭に「宗教的要求は自己に対する要求である」とありますが、実に奥が深いと言わざるをえません。 いったい我々は、日頃からいかなる要求を、自己自身に対してしているのでしょうか? 我々は他人に対してあれこれ要…

認識と成功体験

人は誰でも成功体験に囚われています。例えば「猫」を「猫」として認識する成功体験に囚われて、「猫」を「猫」としてしか認識しなくなり、その間違いを正したり、別の見方をする可能性を排除してしまうのです。 日常的な認識、自然的態度の認識とは、成功体…

食べ物エッセイ アイスクリーム

さて、今月も柳川編集長の同人誌『無文芸』のために食べものエッセイを書かなければならないのだが、特にテーマを決めずにだらだら書く練習をしてみようと思う。 いや本当はセブンイレブンについて書こうと思っていたのだが、そう思ってセブンプレミアムのソ…

第174回 芸術分析塾ラカン  8月4日(木)

いつも直前ですいません、第174回 芸術分析塾ラカン 8月4日(木)のお知らせです。 «««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««« 2・3時限目:午後 13:00~17:30 恵比寿の「写真食堂めぐたま」にて食事と写真集鑑賞、そ…

身体移動と立体視

さて、私はかなり久しぶりにフォトモの作品集を出すことになりまして、従ってそのためのテキストも書かなければなりません。と言うわけで、ちょっと下書きをしてみます。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ フォトモは「平面」である写真を「立体」に加工した表…

第173回 芸術分析塾ラカン  7月21日(木)

彦坂尚嘉先生主催の『芸術分析塾ラカン』のお知らせです。私も18:00より写真史の授業をやります。 【急告:場所変更】明日(7月21日)の芸術分析塾ラカンの朝一番の授業は、新宿を取り消して、藤沢のアトリエで10:00行います。夜の6:00は、新宿…

万物と和解

「生長の家」創始者、谷口雅春の主著『生命の真相』の冒頭だけ読む機会がありましたが「万物と和解せよ」と書いてあり、実に私は多くの人と敵対しており和解しなければなりません。私は誰と敵対しているのかといえば、それは世間であり、私は世間から浮いた…

フォトモワークショップとエッシャー展

すでに告知しておりますが静岡市美術館にて、7月23日(土)、30日(土) の2日間の日程で、『“フォトモ”で再現 静岡の“まちかど”』というワークショップを行います。申し込みは前日の7月22日(金)まで、下記の電話で受け付けております。054-221-1049(静…

断念と理想

『善の研究』で西田幾多郎は、善とは理想の実現である、と説いていますが、しかし多くの人は様々な理由で理想をあきらめ、理想そのものを忘れ去っているのです。プラトンの想起説によれば人間は様々な事柄を忘却しているのであり、自分は何を理想としていた…

戦争と分類

科学が進歩して世の中が進歩しても、戦争が無くならないのはなぜでしょうか?ふと気付いたのですが、それは人は人を嫌うことを本質としているからではないでしょうか? 人はさまざまなものを分けますが、分けることは即ち認識です。人は生存のために「食べら…

生活世界と真実

プラトーは有名なる『共和国』において人心の組織を国家の組織と同一視し、理性に統御せられた状態が国家においても個人においても最上の善といっている。#西田幾多郎 善の研究 「世界は矛盾に満ちている」という言い方がありますが、我々はどこまで辻褄の合…

7月23日(土)、30日(土)静岡市でフォトモのワークショップ開催

『“フォトモ”で再現 静岡の“まちかど”』というワークショップを、7月23日(土)、30日(土) の2日間の日程で、行います。場所は静岡市美術館のワークショップ室です。時間は、午前10時から午後4時です。対象は、中学生以上。申し込みは電話にて054-221-1049…

第173回芸術分析塾ラカン 7月7日(木) 開催のお知らせ

*彦坂尚嘉先生が体調不良に付き竹林閣に来られないため、17時から30分間スカイプで授業をします。 *それ以外の時間帯は、糸崎公朗が新宿で授業を担当します。__ ■昼の部 *13時より、新宿界隈の写真展巡りをします。 Jacob (Red Blueberry), c-print, 2015…

自然性と部分性

人は誰でも邪悪さを秘めています。邪悪さとは自然性であり、人は誰でも邪悪としての自然性を秘めているのです。 自然性とは部分性です。生物の認識は種ごとの本能によって規制され、つまりは部分的だと言えるのです。人間の善性は、生物としての部分性を克服…

プライベートと悪

*一般に、悪事を働くことの楽しみ、悪事に加担することの楽しみ、というものは確かに存在します。一つには、自分が悪事を働くことで誰かが不幸になり、それによって自分が優位に立てるという、快感による楽しみです。 あるいは悪を為すことは共同体への裏切…

幸福と快楽

西田幾多郎によると「善」とは理想の追求であり、幸福の追求ですが、逆に「悪」とは何かを考えると、それは理想の断念、幸福の断念で、ほどほどのところで満足し、その「ほどほど」に執着しこれを死守することにあると言えます。 幸福と快楽は違うものである…

立体写真のgifアニメ(ロレオステレオ)

私が1990年頃に買った、立体写真が撮れるカメラ「ロレオステレオ」と専用立体ビューワーのセット。35mmフィルムを使用するカメラだが、 当時撮ったプリントをスキャナーで取り込んで、ビューワー無しでも立体に見えるgifアニメにしてみた。1990年頃は赤瀬川…

意志と直観

経験の蓄積とは何か?純粋経験の立場から、または現象学的立場から、過去の実在は証明することができず、従って本当に自分があることを繰り返し経験した事実は証明できないのですが、現在意識としての「経験の蓄積」は現象として疑いもなく存在するのです。 …

経験と反復

経験は何度も同じ経験を繰り返さないと、経験することができません。例えば「おいしい白飯の味」というのも、白飯を繰り返し食べる経験を経なければ「おいしい白飯」と「おいしく無い白飯」の区別が付かず、従って白飯を一回食べただけで「おいしい白飯の味…

愛と知

西田幾多郎によると、愛することは知ることです。一般に愛というのは感情で、何かを調べて知識を蓄えることは理性だとされていますが、これらは本来的に合一であるのです。 例えばアニメオタクはアニメを愛するが故にアニメをよく知り、カメラオタクはカメラ…

空間と時間

西田幾多郎によると、そしてフッサールによると、認識の「外部世界」を措定すること自体が間違いなのです。私は目で外部世界を見て認識し、その私は外部世界の中に存在する、という認識自体が自然で素朴な錯誤に過ぎないのです。 「空間」も「時間」もその存…

環境と自分

自分は何をしなければならないのでしょうか?一つは自分を変化させ続けることです。動物における変化とは環境変化であり、その意味で環境が変化しない限り、人間は自分を変える必要はないのです。ところが人間にとって環境は認識であり、認識が変われば環境…

言葉と切断

言葉には切断の機能があります。本来は連続しているもの、一体であるものを、切断する機能を言葉は持っています。例えば「手」と言うのも人体のどこまでが手で、どこからが腕なのかが曖昧にもかかわらず、「手」という言葉によって概念的に切断されるのです…

入門と出家

西田幾多郎『善の研究』読み終えましたが、哲学入門書として最適の一冊でした。現代の多くの「入門書」とは異なり、「門の中」にきちんと入れてくれます。 『善の研究』は日本人による日本人のための最適な哲学の入門書で、これが難しいと言われるのはそもそ…

第171回芸術分析塾ラカン 6月09日(木)のお知らせ

*彦坂尚嘉先生が主催する「芸術分析塾ラカン」のお知らせです。私も授業をします。第171回芸術分析塾ラカン 6月09日(木)..................................10:00〜12:00 秘密講義と演習:【生命力0】の芸術午前中は、彦坂尚嘉先生の特…

『逆三角関係展Vol.19』6月2日(木)開催のお知らせ

隔週の木曜日に開催しております一日展のシリーズ『逆三角関係展』ですが、今週の6月2日(木)は、生須芳英・中田文。ヴァンだ一成 の3名による展示です。 時間は13:00〜21:00場所は新宿の「竹林閣」です。http://chikurinkaku.jimdo.com/%E7%AB%B9%E6%9E%97%E…

第170回芸術分析塾ラカン 5月26日(木)

第170回芸術分析塾ラカン 5月26日(木)...................................10:00〜12:00 秘密講義と演習:【生命力0】の芸術午前中は、彦坂尚嘉の特訓授業です。【生命力0】ではないアーティストが、戦術的に【生命力0】に下降して作品…

子供と大人

一般に子供は環境の変化に柔軟に対応し、大人はそれが苦手だとされています。子供の欠点は、子供にとってはどんな環境も新しく、その都度学習し適応しなければならず、それだけコストがかかり効率も落ちます。対して大人は、既知の環境であれば学習の必要も…

食べ物エッセイ2 現代に増殖するオオサキという動物

美味しい食べ物と、不味い食べ物は、何が違うのでしょうか?興味深い説があります。みなさんはオオサキという動物をご存じでしょうか?私は内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書)でその名前を初めて知りました。オオサキと…

法然とコンセプト

自分が提唱していた「非人称芸術」についてまた一つ分かったのですが、これは一つには法然の系譜なのでした。つまり「南無阿弥陀仏」と唱えることと、私のいう「非人称芸術」とは、ある意味では同一であったのです。 法然はただ「南無阿弥陀仏」と唱えること…

逆三角関係展Vol.18 5月19日(木)のお知らせ

隔週の木曜日に開催しております一日展のシリーズ『逆三角関係展』ですが、今週の5月18日(水)は、糸崎公朗・颯田浩重・彦坂尚嘉 の3名による展示です。 時間は13:00〜21:00場所は新宿の「竹林閣」です。http://chikurinkaku.jimdo.com/%E7%AB%B9%E6%9E%97%E9…

物質と言語

「分かる」と「分かったつもり」の違いはなんでしょう? 人は「鮮明な今」と「曖昧な記憶」の中を生きています。すなわち「鮮明な今」の鮮明さは「曖昧な記憶」によって裏付けられているのです。いやもしかして、鮮明なのは「言語」だけなのではないでしょう…

第169回芸術分析塾ラカン 5月12日(木)

新宿の「竹林閣」にて毎週土曜に開催していた塾を、隔週の木曜に移行して再スタート致します。 塾の題名も『芸術分析塾ラカン』に戻します。 そして今回から、私の授業「写真史の探究」が始まります。 実は私の「フォトモ」も、写真が発明された19世紀の時代…

アマチュアとプロフェッショナル

時間的前後にも縛られず、あらゆるわざ及び彼の意識によって作られたあらゆる像とによって妨げられることなく、囚われなく自由に、神の賜物をこの今において新たに受け入れ、しかもそれをこの同じ光の内で、感謝に満ちた賛美を持って主イエス・キリストにお…

非人称と反転

私が「私でないもの」を拝して仕えることは、岡本太郎が言うように前時代的で封建的で屈辱的でしかないのでしょうか?もし子供が「私」だけを信じ「私でないもの=親」仕えなければ、子供はどうして大人になれるでしょうか? もしこの神殿が全ての障碍から、…

《現実界》と《象徴界》

現代人は物事を《現実界》に偏って捉えています。《現実界》は確かに偉大な力ではありますが万能ではなく物事の一側面でしかないのです。近代になり忘れられ軽んじられているのは《象徴界》です。近代になり《現実界》が出現する以前の《象徴界》には絶大な…

岡本太郎と才能論

これは、なんといっても一般に、「絵とはこういうものだ」という固定観念がしぶとく食い入って、純粋、素直な鑑賞をじゃましているからにちがいありません。#岡本太郎 今日の芸術 p22 近所付き合いや処世術などと違って、純粋に直感しなければならない芸術鑑…

子供と学び

「子供の感覚を大切に」よく言われる意味での「子供の感覚」とは何でしょう?私の個人的経験で言えば、私の味覚が母親によって教育されていた事の意味が、最近になりあらためてわかってきたのです。私の母親はまずい料理に対し文句を言う人でしたが、子供の…

俗物と哲学

中島義道『哲学の教科書』、今は講談社学術文庫ですが、最初の単行本が1995年刊行で、哲学に興味を持ち始めたその頃に私も読んだはずです。これをあらためて再読してみました。 Amazon.co.jp: 哲学の教科書 (講談社学術文庫) 電子書籍: 中島義道: 本 物事の…

崇高と現実界

中島義道先生の本も『生きにくい…私は哲学病』が本棚に残っていてその冒頭だけ読み返してみたのですが、改めて気付いたのは中島義道先生は哲学を《現実界》に還元しているという事です。《現実界》とは科学の領域でもあり、そして中島先生は哲学を他の「科」…

自明とブリコラージュ

近代になると、人が住む環境が猛烈な勢いでかつてなかった規模の「人工物」で埋め尽くされるようになり「芸術」が相対化されます。また工業技術の発達に伴い「つくること」の最高峰であった芸術の価値も相対化され、これによって様々な錯誤が新たに生じるの…

前衛と野蛮

改めて納得したのですが戦後日本の「前衛芸術」は「前衛」の名の下に原始に回帰していて、「前衛」と「原始」が取り違えられているのです。この問題は私も無関係ではありません。 例えば、1960年代から1970年代初頭にかけて活動していた前衛パフォーマンスア…