序列と否定

○時間と記憶の問題。常識的には人間に記憶があるのは明白だが、動物に記憶はあるのか?イヌやネコのような高等動物に記憶があるとして、昆虫やアメーバに記憶はあるのか? 認識には時間が伴う。時間を伴わない認識は成立し得ない。視覚的認識は、視覚の変化…

ユーザー・ブリコルール・エンジニア

認識論的に言えば、人はユーザーと、ブリコルールと、エンジニアとに分かれる。ユーザーは一般常識に対し疑いなく従う人々。ブリコルールは常識をベースに工夫を施す人々。エンジニアは常識を疑い根底から覆そうとする人々、というふうに整理分類できる。 ユ…

視覚と動き

知覚についての覚書。動物の知覚は動いている対象物と、動かない環境とをどのようにして判別するのか?動物が自分の体を移動させると、それに連動して視覚情報も変化する。自分の体の動きと、視覚情報の変化が「連動」している場合、その視覚情報は「動かな…

卓越したエンドユーザー

現象学的に言えば、全ては自分の主観のうちに生じた現象であるが、他者にもまた自分と同様の主観を有し、その主観にもまた同様の現象が生じているように、自分の主観のうちに現象している。 これは人間以外の動物も同様で、動物個体はそれぞれに主観を有し、…

認識と時間

時間とは何か?あらゆる認識は、時間を介することによって成立する。認識とは関係の認識であり、時間を介さなければ関係の認識は成立しない。 光についてその強弱だけを認識する単純な生物がいたとして、その生物は光の「強」と「弱」の関係を時間を介して認…

生活世界とインターフェース

生活世界は確かに存在する。生活世界は氷山の一角で、 見えない海中の氷山にはどのような世界が存在するのか?…何れにしろ生活世界に埋没する限りそれが世界の全てだと認識され、生活世界そのものを対象化されることはない。従って生活世界そのものの存在を…

言語によらない象徴作用

人間以外の動物は言語を介さずに世界を認識する。動物は言語以外の方法によって、世界を象徴化して捉える。動物にとっての環世界は、種に固有の身体によって捉えられた様々な象徴の関係によって成立している。 現象学的に考えれば、人間にとって言語によって…

言語による認識と、言語によらない認識

人間は言語によってのみ認識しているのではない。人間は言語による認識と、言語によらない認識とを併用している。言語によらない認識とは何か?と言えばこれは言語によらない象徴作用であり、動物的な象徴作用だと言える。 言語によらない象徴作用とは何か?…

具体性と象徴性

具体性とは何か?もしかすると具体性なるものは存在せず、我々は象徴性と具体性とを取り違えているだけなのではないか? 例えば、目の前に見える風景を写実的な具象画として描こうとする場合、目に見えるもののそれぞれを改めて象徴化して捉えなおさなければ…

言語・象徴・具体

言語を使う人間と、言語を使わない動物の差は何か?言語を使わない動物より、言語を使う人間の方が環境の利用率が高くなる。人間が環境に存在するあらゆるものに名前をつけることによって、そのものが利用可能になる。 ヒトの言語はウグイスのさえずりのよう…

ユーザーとブリコルール

レヴィ=ストロースはエンジニアとブリコルール(器用人)とを対置させたが、他にエンジニアの対立概念としてユーザーを置くことができる。そう考えるとあらゆる生物はユーザーであり、ユーザーとは生物としての本質だと言える。 例えばカエルという生物は、…

言語とオーバーテクノロジー

リバースエンジニアリングをするには自分もエンジニアでなければならない。エンジニアとは何か?その人は物事の原理を知っている。原理とは何か?原理とは理屈であり理屈とは言語である。原理を知るエンジニアはエンジニアリングとしての言語とは何かを知っ…

専門家と評論家

もし、自分で料理を作らない料理評論家がいたとして、この人は専門家と言えるのか?専門家=エンジニアと定義するなら、料理を作らない料理評論家はエンジニアではなく専門家とは言えない。 だから料理を作らない料理評論家の評論は「美味しい」「不味い」「…

エンジニアリングとブリコラージュ

リバースエンジニアリング(Reverse engineeringから。直訳すれば逆行工学という意味)とは機械を分解したり製品の動作を観察したりソフトウェアの動作を解析するなどして製品の構造を分析し、そこから製造方法や動作原理、設計図などの仕様やソースコードな…

客観と類

常識を基盤とした思考と、常識の基盤とは何かを思考する思考とがある。 言語は自分で作ったものではなく、自分が生まれる以前から存在し、他人から教わるものである。 他人から教わらなければ、自分にとって言語は存在しないし、言語を言語として機能させる…

デッサンとエンジニアリング

伝統的にエンジニアリングの本質は美術にあったのである。いわゆるエンジニアリングが存在しなかった産業革命以前において、エンジニアリングの本質は一つには美術に存在した。 それが産業革命以後、エンジニアリングの本質はいわゆるエンジニアリングに移行…

中国の歴代名画記

『歴代名画記』張彦遠撰を読んでるが、wikiによると張彦遠(ちょう げんえん、生没年不明)は中国の晩唐(9世紀半ば - 10世紀初頭)の士人にして著述家、絵画史家。中国最古の絵画史とされる『歴代名画記』を著し画史の祖と称された。また書論として著名な『…

美術家と美術評論家

ヘンな話ですが、私はその昔、美術評論家と呼ばれる方々が非常に怖かったのでした。例えば私は1999年に『キリンコンテンポラリー・アワード』というアートコンペに応募して受賞したのですが、その時の審査員である椹木野衣さんも非常に怖かったのです。 いや…

劣等感と解消

モチーフと技法は芸術にとってはどちらも不可分である。私の場合は、けっきょく好きなものを好きなように表現してきたのだが、そのモチーフと技法について、どちらについてもいろいろ理屈をこねてきた。それはそうしなければ、作品を展開することができず、…

秩序と無秩序

原始に還元した美術。現代人は悪しき理性によって、個人の本来性を抑圧してるのであって、それを解放することが芸術表現になる、と言う岡本太郎の主張。 非人称芸術の前提には才能論があり、その敗北がある。人の能力の優劣は努力では決して埋められないと言…

近代とイデオロギー

やっと分かってきたのだが、イデオロギーとは近代の産物なのである。つまり近代かによって、それまでの価値観が全否定されると、新しいイデオロギーの構築が必然的に必要になる。 私の非人称芸術が共産主義の影響を受けていたという以前に、そもそもイデオロ…

オブジェと共産主義

お金を何となく汚いものと思うのも、アートとお金は根本のところで無関係だと思うのも、ものを正せば共産主義の影響を無自覚的に受けているのである。自らの共産主義は浄化されなければならないが、そのためには自らの共産主義を対象化し、自覚化しなければ…

近代とイデオロギー

ようやく分かってきたのだが、イデオロギーとは近代の産物なのである。つまり近代化によって、伝統的なそれまでの価値観が全否定されると、新しいイデオロギーの構築が必然的に必要になる。 私の非人称芸術が共産主義の影響を受けていたという以前に、そもそ…

安心と既成

私自身、安心への志向性が強かったのは、まずは明瞭に自分は劣っているという意識があったのだが、それは明瞭に学校の成績によってそのように明瞭にランク付けされたからである。いやそれで安心を得る道はただ一つで、勉強すればいいだけの話だが、私にはど…

安心とランキング

人々はなぜこうも安心への志向性が強力なのか?自分の経験を反省しながら考えてみるならば、人は子供の頃から社会においてランク付けされながら生きている。このようなランク付けは便宜的なもので気にしなければいいはずではあるが、実際的にはそうはいかな…

安心と記号

フロイト『夢判断』を読んでいるが、フロイトの「夢の中では…」という言い回しは、目覚めている人にも当てはまる。なぜなら多くの人は安心への志向性が強く、目覚めながら安心を得るという夢を見つつ現実から目をそらし続けているからである。 その言い方を…

権威と自然

権威の否定には二重の意味がある。一つは実質的が無いにもかかわらず権威だけがある状態に対する否定。もう一つは権威そのものの否定である。ところが、権威を否定しようとする側の者も「自分にこそ権威がある」と主張するのであり、誰も権威そのものを否定…

認識と志向性

私の場合は「階級闘争」などという言葉は一応聞いたことがある程度で、それが具体的に何を意味するのかは知らないし、自分には全く関係のない古い時代の概念だと思っていたのだが、いま改めてマルクスとエンゲルスの『共産党宣言』を読むと、私自身の思考の…

幽霊と共産主義

ヨーロッパに幽霊が出る__共産主義という幽霊である。と言うのはマルクス『共産党宣言』の書き出しだが、反省すると結局のところ私自身も共産主義の亡霊に取り憑かれていたに過ぎなかった。 私が物心ついた頃は、全共闘運動などの日本の左翼運動は終わって…

純粋と総合

極端の対義語は総合でもある。極端な人は総合力を欠いている。中庸は総合の類義語でもあって、中庸でいるためには総合力を必要とする。極端はまた純粋の類義語でもあり、純粋は総合の対義語でもある。