アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2010年5月tweet

「撮らない」ことを意識した「反写真」は、結局のところ「写真」でしかないのだ。

芸術を理解できない者は、芸術を信仰していない。

「写真」を信じればそれは「写真」に見えるし、そうでなければ「非人称芸術」に見える。

一人で美味しいものを食べることは卑しい。分け与えなければ「芸術」とはならない。

芸術家の仕事とは、芸術の根源をさかのぼること

信仰しないものは迷信に陥っている。

感覚を広げるために理論を先行させる。

言語とは信仰であって、例えば日本語を使う人はみな日本語を信仰しているし、英語を覚えられない人は英語に対する信仰が決定的に欠落している。

「方法的懐疑」はまず自分に適用しなければならない。

疑うことは信仰することであり、例えば「写真を疑うこと」を疑えば写真を信仰することになる。

学ぶことは本質的に自己否定なので、「自分」を大切にしたい人は何も学ばない方が良いかも知れない。

学ばない人はオオカミの成獣のように完成された人間であり、尊敬すべきである。

発狂するまで自分を疑えば、スッキリと真人間になれるかも知れないw

最近は飲み会で飲み過ぎて、眼鏡とか財布とか、いろいろと大事なものを失なう。

出張先の鹿児島のホテルにパソコンのACアダプターを置いてきてしまい、それを自宅に送ってもらうまで、仕事の時間を損なう。