アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

自由と正気

自然な物事の見え方は、実は偏見に過ぎず、これに目を眩まさると精神が不自由になる。

自然で素朴な認識は、人を絶対的不自由に縛り付ける。

自分ももちろん、そのような絶対的不自由に縛られている。

そしてこれに気づかない限り、本人は何ものにも縛られず自由でいるつもりでいる。

 

多くの人は(主観的に)自由でいようとするために、自分が不自由であることを知りながら、その証拠を消し去る。

多くの人は、自由を得る努力をせず、不自由である証拠を消し去るための技術をひたすら磨き上げる。

 

自由であるとは「正気」を保つこと。

 

自由な気分を麻薬で得たり、寝ながらにして夢の中で自由に振舞ったとしても、それは「自由」とは言えない。

自由な人は、例えばアウシュビッツの収容所や、旧日本軍が遭遇した南方戦線の飢餓などの極限状態においても「正気」を保ち最後まで人間性を失うことがない。

 

自然的態度から「正気」に目覚めるには相応の技術が必要になる。