アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

真実と擬態

芸術は精神の産物です。偽りの芸術は偽りの精神から生じます。

「芸術はきれいであってはならない」と言うのは間違いです。芸術は、きれいであっても、そうでなくとも構わないのです。「芸術」と「芸術のポーズ」との違いとは何でしょうか?

嘘つきは人々に軽蔑されます。しかし嘘がバレるまでの間は尊敬されます。

嘘つきは真の芸術家にはなれません。嘘が嫌いな人は真の芸術家や哲学者に落ちぶれるしかありません。

真実を吐く者が地べたに這いつくばり、嘘つき達が空を舞う!

人はしばしば、自分に対して嘘をつき、自分で自分を騙します。最も巧妙な嘘つきは、まず自分自身を騙し、それによって他人を騙します。偽りの芸術は、そのようにして蔓延っているのでしょうか?

騙すことは、有る意味で生命の本質です。大抵の動物は地味な色をしていて、それは擬態を意味しています。動物にとって「真実」とは何でしょうか?

動物の擬態は、捕食者に対し自分が餌であることを隠蔽します。捕食者は、被捕食者に対して自分の姿を隠蔽します。動物にとっての「真実」は、擬態が隠蔽するもののうちにあります。

昆虫は擬態の名人として知られています。しかし昆虫の視覚は、自身の巧妙な擬態を認識できるほど高度ではありません。昆虫の擬態は、昆虫の能力を超えた認識力を持つ鳥類や哺乳類に向けられています。つまりより高度な認識力を持つ生物に対し、隠蔽されるものもより多くなるのです。

人間に対し隠蔽されているものは、他のどんな動物よりも格段に多いのです。人間に対し隠蔽されているものが、人間にとっての「真実」です。「真実」を見出すことは、あらゆる生物にとって切実な問題です。しかし、量が質を決定するように、人間にとっての「真実」は、起源を同じくして全く異なっています。

起源を同じくして、質が全く異なるものが、人間にとっての「真実」には混在しています。真に人間的な真実と、動物的な真実が混在しています。

動物に対して隠されているものは「餌」です。人間もまた動物ですから、人間に対しても餌は隠されていますが、現代ではそれが「金」に変換されています。つまり現代において人間に対し隠されているのは「金」です。隠された「金」のありかを暴こうとする人は、動物が獲物の擬態を暴く欲望を満たします。

現代のニセ芸術家は、なぜ芸術家の擬態をするのでしょうか?動物がなぜ擬態をするのか?それは餌を得るためです。真の芸術家は何を得ようとするのでしょうか?人間に対して隠蔽されているものは、動物として必要な餌や、餌が変換された金だけではないのです。

人間に対してなぜ多くのものが隠蔽されているのでしょうか?一つは動物の例を考えれば分かります。動物の擬態はエサのためになされます。人間のエサは現代では金に変換されています。人間は金のために様々な物事を隠蔽します。