アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

言葉と順番

「諦める」という言葉の語源は「明らかにする」ことでした。究極の諦めは「悟り」であり「解脱」であり、ブッダが説いた「心の安らぎ」です。

自分についてのなにものにも執著する必要はありません。なぜなら自分とは自動機械に過ぎないからです。自分で考え、自分で感じた「つもり」のことは、ことごとく自動的な言葉の作用に過ぎません。

どんな事物にも原因と結果がありますが、その連鎖に「自分」は含めれません。

人は言葉によってその運命が決まっています。言葉には決められた順番があり、順番通りに並べられない言葉は意味が通じず、だから言葉は必ず決められた順番通りに並べられます。それが人の変えられない運命です。人は言葉で考え感じ判断し行動するのです。

人は自分の人生を、映画を観るようにただ眺めているだけなのです。幼い人は、映画の登場人物を自分と取り違え感情移入します。登場人物が不安になると自分も不安になり、登場人物が後悔すれば我が事の様に後悔します。しかし映画通は映画の構造を冷静に分析し、名画の監督を賞賛します。