アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

才能と自己評価

才能とは何でしょう?人は容易に自分の事は知り得ず、才能もまた同じです。故に才能のある人は自分にいかなる才能があるのかを追求し続け、凡人は自分の才能を低く見積もりそれ以上に追求することをしません。

つまり多くの場合、各自の才能の追求は、教育によって「阻まれる」のです。日本の受験システムは、成績の悪い生徒は勿論、優秀な生徒にまである種の「あきらめ」を植え付けます。日本のエリート達はある種の「あきらめ」に取り憑かれ、それが3.11の対応に現れてはいないでしょうか?

戦後の日本人は押し並べて自己の能力に対する評価が低く、ある種の「あきらめ」に取り憑かれています。なぜそう言えるのか?一つは自分がそうだからです。自分がそうだとなぜ他人もそうだと言えるのか?ソースはプラトンが『国家』で説いた「国家のあり方は個人のあり方の反映で、逆もまた然り」です。

●進歩があれば退化がある。進化の一面は退化ですが、その意味はニッチ=生態的地位です。生存に有利なニッチは先住の生物で占められますから、後発の生物は不利な環境に適応するため進化が必要なのです。つまりヒトが出現した時点でヒトのニッチはすでに存在せず、自らそれを切り開く必要があったのです。