アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

商品と忘却

●勉強とは何でしょう?現代日本では、勉強とは子供がするもので大人がするものではありません。その証拠に子供に「勉強しろ」という親自身は勉強しません。学校の先生も同じです。いい大人は仕事や遊びやサボりはしますが勉強はしません。勉強する大人がいたとすれば変人かイヤミな人でしかないのです。

日本の常識では、勉強は子供がするもので大人がするものではありません。「勉強ができる人」とは「子供の頃勉強ができた人」を指し、大人になってからのことはカウントされません。つまり「子供の頃勉強が出来なくて、大人になって勉強ができるようになった人」は想定外の存在し得ない「幽霊」なのです。

3.11によって「想定外」という概念があらためて浮き彫りにされました。想定外の存在はたとえ存在していても幽霊と同じです。例えば「残虐な性質を持つ女子中学生」は先生にも親にとっても想定外の存在で、生きながらにして「幽霊」にされてしまった可能性があります。

幽霊は孤独です。常識的に「想定外」の人間は、世間的に「幽霊」であり孤独なのです。幽霊とは異界の存在で、常識界にも世間にも存在しないのです。

現実問題として、幽霊とされた人間も食っていかなければなりません。何らかの姿を借りたて常識の世界に、世間に、参加しなわけには行きません。同級生を殺してしまった女子中学生は、子どもであるがゆえに「殺人者として世間に立ち現れる」という間違った選択をしてしまったのかも知れません。しかし大人はそんな選択はしないしする必要もありません。

幽霊とは想定外の存在です。想定外の事物は、時間とともに想定内の事物に転ずることがあります。どのような条件でそれが起きるのか?それは、自然現象のように起きるのでしょうか?

●いったい人間以外に誕生直後に泣き叫ぶ動物はいるのでしょうか?私にその知識がないので調べる必要があります。いずれにしろ人は本来的に存在しないはずのやりたい事、欲しい物をでっち上げる必要があります。少なくとも自分を振り返るとそうです。つまり自分のやりたい事、欲しい物は他人のコピーです。

先日、何もしたくないと言うニートの若者に会いました。しかし人間とは本来、何もしたくないし、何も欲しくないし、そもそも生きたくないのかも知れません。何故なら人は誰でも自らの意思で望んで生まれてくるわけでは無いからです。人は生まれた瞬間、苦痛の叫びを上げるのです。それが原点です。

未知の世界にアクセスする人と、既知の世界にアクセスする人とがいますが、この両者ではコミュニケーションが成立しません。しかし、未知の世界にアクセスするひとにとって、既知の世界もまた未知の世界のはずなのです。ここに幽霊が人間として生きるカギがありはしないでしょうか?

人間は自分の意思で生まれたわけではなく、生まれたからには生きなければならず、しかしやがて死ななければならないのです。この理不尽さを忘れることを、多くの人々は強く望みます。大多数の人々が求めるのは「忘却」です。人々が求める物を売るのが商売だとすれば、商品とはあらゆるタイプの忘却です

「忘れたいのに思い出せない」とは赤塚不二夫の漫画の名台詞ですが、それこそが「商品」の本質なのです!

学問の本質とはプラトンによれば「想起」です。人間は全てを忘却した状態の赤ん坊としてこの世に生まれますが、逆に言えばあらゆる事柄をあらかじめ知っているのです。ここを起点として、あらゆる学問は「想起」を志向し、一方で大多数の人々は「忘却」を強く望みます。だから大衆は学問を嫌うのです。

学問は難しいのではなく、本質的に「想起」を志向するために、「忘却」を強く望む大衆の意に反するというだけの事でしかありません。つまりこれは志向や嗜好の問題であって、頭の良し悪しは無関係です。実際に、社会的には高学歴で専門分野に属しながら「忘却」を望み、大衆の人気を博する人もいます。

自分を振り返れば「想起」と「忘却」のどちらの志向も自分にはあり、しかし無自覚であったために両方が相殺され、その意味で混乱していたのかも知れません。しかしこのような反省は想起です。このブログ記事は、忘却を望む人々には感知され得ないステルスモードなのでしょうか⁈

●学問的認識にとって、常識とは「穢れ」です。穢れとしての常識を洗い流すことによって、学問的認識は成立します。穢れを清めるには、自らの穢れを意識化することです。自分が常日頃、いかに常識的で通俗的な認識をしているか、事あるごとにチェックする必要があります。

●認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識認識を繰り返すことです。