アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

予定説と気象説

今日は雨です。気が滅入ってやる気が出ません。このように、人間の感情や意志は気象の影響を受けます。気象の影響を受けるものもまた気象です。「気が滅入る」「やる気が出ない」などと私が感じるように、「私」とは気象の観測装置であり、それは「私」という観測点に設置されているのです。

人間の意志や感情が気象現象だとすれば、そもそも生物の存在自体が気象現象ではないでしょうか。台風が発生し移動しながら広がるように、人類はアフリカで発生し広がったのです。南極にペンギンが棲息し、温帯にスズメが分布するのも気象現象です。

気象とは流動であり、相互の影響関係です。つまり私は吹き溜まりや淀みや停滞を問題にしています。自分が行き詰まっている状態とは、気象現象として吹き溜まり、淀み、停滞しているのです。それは、当然の事ながら、周囲の気象の影響を受け、それらの気象は地形の影響をうけているのです。

吹き溜まり、淀み、停滞する自分の気象を、自分でコントロールすることは可能なのかしょうか?主観的には可能ですが、客観的には不可能です。これはキリスト教の一派の「予定説」の言い換えでもあります。予定説では、自分が何を意志するかまで神により予定されてますが、だからこそ主観的に「善」を意志するしかないのです。