アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

商売と悪意

商売の根底には悪があります。
それは法律で許される範囲での悪です。
法律の主体は国家にありますが、国家成立の根底には悪があります。
なぜなら人間の存在の根底に悪があるからです。
つまり人は他の生物を滅ぼすことでしか生存出来ず、これを悪と見ることが出来ます。

10円で仕入れた物を20円で売るのが商売です。
この差し引きの10円分、他人を騙すことで成立するのが商売です。
いや、仕入れたりお店を営業したりと言った手間賃があると、普通には考えられるかも知れません。
しかしあらゆる手間は本来的には善意であり、善意の手間の手間賃を上乗せするのは悪です

言ってみれば人は誰でも弱みを握られていて、悪事を働かなければならないよう仕向けられているのです。
人は食わなければ死んでしまうと言う弱みです。
その弱みがなければ人は善意の無償行為を無制限に行うことが出来ます。
ところが人にはそれが許されていないのです。

人は人であるが故に誰もが悪人で、その悪人がいかにして善を成し得るのか?
が人にとっての大きな問題です。
人の営みである商売も、これと無関係ではありません。
しかし関係があることと無関係は同意でもあります。
そうでなければ子は親からどうして自立できるでしょうか?

親と子の深い関係を認めつつ、互いに無関係にならなければ、親離れも子離れも出来ず、互いに自立し自律した人間にはなれません。
商売も同じことで、商売と商売の根源との関係を認めつつ、その根源とは無関係にならなければ、商売は商売として自律して成り立ちません。
実に私に欠けているのはその点です。