アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

満足の破片

人は誰でもいつか死にますが、それ以前に食わなければ死んでしまう、と言う具合に常に急き立てられています。
自分が死ぬことを忘れてる人は、自分が常に急き立てられていることも忘れています。
急き立てられる恐怖が、恐怖のあまり何か別のことに転化しているのです。

一体、私は自分の何に満足してるのでしょうか?
自分に満足している自分は、満足したいと言う自分の気持ちに、騙されているのではないでしょうか?
しかし一方では、自分は自分に非常な不満を持っているのです。

拭い去る事の出来ない不満を誤魔化すために、無理にでも満足出来る要素の破片を掻き集め、ひとかたまりの満足に転化してるのでしょうか?
真実は満足には無く、不満にこそ真実があるのではないでしょうか?
真実が不満として抑圧され、満足の元に隠されてはいないでしょうか?

満足にしがみ付いていては真実は得られません。
満足を掴むその手を離すことで、真実を手にすることが出来ます。
なぜなら重力に従って落下することが真実であり、重力に逆らうことは虚偽でしかないのです。
手を離して落下する勇気がその手に真実を握らせます。

Some:生まれ変わった ‏@k_someya
急き立てられるのは解りますがそれが恐怖なのでしょうか?

 

Some:生まれ変わった ‏@k_someya 

意図して突き動かされることが、恐怖なのか?恐怖とは一体何なんでしょうかね?難しい課題。

仕事が途切れて貯金も尽きてくると、急き立てられる恐怖が実感されました。しかし定職があっても潜在的にこの恐怖があり、これに突き動かされているのではないかと思うのです。

Some:生まれ変わった ‏@k_someya
僕にとってはその程度は恐怖ではなく不安です。常に死が隣にいます。なおお金についても命についても尽きる瞬間を体験しているので恐怖より不安のほうが大きい。恐怖とは一体何なんでしょう?人は不安と恐怖どちらに怯え畏れるのでしょうか?

Some:生まれ変わった ‏@k_someya
あ、責めているのではなくいつも楽しく読まさせて頂いています。すっかりファンです。
糸崎さんにしては大きい穴にみえて期待外れの答えが帰ってきたので連投してしまいました。不快であれば申し訳なく思います。失礼な物言いで申し訳ないのですがぶっちゃけで本音でいってみました


ご指摘ありがとうございます。言われてみれば恐怖と不安を区別してなかったかも。

ウィキにざっと目を通したところ恐怖は多くの生物に共通の感情で、不安はより人間的で複雑で漠然としたものとされてるようです。私は人間の問題、自分の問題を生物に基礎づけて考える癖があり、恐怖を問題にするのかも知れません。

実際、私はお気楽な人間で、恐怖や不安を捉える感受性に乏しいのです。哲学者の中島義道先生は、小学三年生から死の恐怖に怯え、これを感じない人々に疑問を投げかけてますが、理屈で理解出来ても実感出来ないもどかしさがあります。

Some:生まれ変わった ‏@k_someya
Wikiってその時点で情報として危うくないですか?WiKiPediaって価値ある集合知ですが正確ではないです。情報の整理として安易すぎませんか?

Some:生まれ変わった ‏@k_someya
体験も大事ですが、哲学的に考える。いつも考え抜いたお言葉が多いのですが…

分かっているのに、詐欺師に騙され続けるようなものです。詐欺師は夢を与えてくれるのです。

Some:生まれ変わった ‏@k_someya
騙され続けるのは夢ですが、詐欺師は詐欺師です。時間軸と体験と哲学と思考と矛盾します!

すみません、どうしても、自分のことに引き寄せないと、言葉が嘘になってしまいます。

Some:生まれ変わった ‏@k_someya
解ります。消化してからの返答気長にまってます!

Some:生まれ変わった ‏@k_someya
もどかしくなかったら哲学イランので…知をまとめていく膨大な作業、自分に引き寄せ他人に押しつけいろんな試行錯誤の結果の人類の叡智です。フッサール大変解りやすく堪能してます!

ありがとうございます。実はTwitterアプリのお知らせ機能が不調で、うまくキャッチボール出来ずにすみませんです。

Some:生まれ変わった ‏@k_someya
こちらこそお相手して頂き恐縮です。今後ともよろしくお願い致します!