アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

カントと善人

 カント『道徳形而上学入門』冒頭を読んでみましたが、道徳や善について語られてはいるものの、カントが善人には今ひとつ思えないのです。プラトンの著作を読むと、ソクラテスの「善性」が滲み出ていて、ブッダやフッサールも同様ですが、そこに感銘を受けるのです。しかしカントにはそれが感じられない

 カント『道徳形而上学入門』ですが、善人ではない人が「善」という自分にはないものについて、一生懸命考えている、と言うように私には感じられました。カントが難しいと言われる一因は、実はカントは善人ではない、と言うところあるのではないでしょうか?

 カントは実は良くないのでは?と指摘したのは彦坂尚嘉先生ですが、そう思って昔買ったまま読めないでいた『道徳形而上学入門』を読むと、不思議とそう難解でもなく、読めてしまうのです。最近になってフッサールを読むようになったせいもあります。フッサールとの違いとしてカントが読めるのです。