アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

哲学と適応

フッサール現象学の理念』取りあえず読み終えました。確認すると私はこの本を2011年8月に買って、途中まで読んで内容が全く理解できず断念してます。今回あらためて読んでみると、ちゃんと理解できてるかはともかく、全く理解できずチンプンカンプンと言うことはなく、自分でも驚いています。

フッサールが難解だと言われるのは、フッサールの書物が難解と言うよりも、人間の認識のメカニズムがそもそも難解だからではないでしょうか?人間の認識には、さまざまなオートマチックなメカニズムが働いており、そのオートマチックなメカニズムそのものが、極めて難解なのです。

人間の認識や思考は人間が思っている以上にオートマチック化され、ブラックボックス化されているのです。ふだんの生活では、そのようなオートマチックに任せたままで何の問題もありません。しかしオートマチック化された機械は一般に初心者向けで、機能が限定されているのです。

人間の認識や思考は高度にオートマチック化されている反面、初心者用の機械のように機能が限定されているのです。つまり人間の潜在能力を最大限に引き出そうとするなら、オートを解除しマニュアル操作に切り換える必要があります。それがフッサール現象学が難解な理由の一つではないでしょうか?

私はもともと読書に対して苦手意識があって、難解な本も読めず、哲学も入門書ばかりを読んできたのですが、ここ数年は難解と言われる原著の日本語訳も、理解できなくともともかく読むようにしてきたのです。するとその効果はゼロではなくて、少なくとも苦手意識はだいぶ克服されてきたのです。

難解な書物、難解な哲学とは何かと言えば、それは「環境」だと言うことができます。難解な哲学書を分からないままに読んでいくことで、徐々にその新しい環境への適応が生じてくるのです。

ネット上の動画を見ると、哺乳類や鳥類はもちろん、爬虫類までもが人間に「懐く」ことが確認できます。人間とは動物にとって新たな「環境」であり、適応力の高い動物は環境としての人間に適応し「懐く」のです。同じように、人は哲学という新たな環境に適応し、哲学に「懐く」事が出来るのです。