アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

「人を見る目」と信仰

信仰とは何でしょうか?信仰とは一つには「人を見る目」です。「人を見る目」のない人、あるいは「人を見る目」を養おうとしない人は、信仰するに値しない人を信仰し、あまつさえ自分で自分を信仰します。

「人を見る目」がない人は、言語の恣意性に縛られます。すなわち、言語とそれが指し示す者との結びつきは偶発的で必然性がなく、にもかかわらず結果に高速性が乗じるのです。

その言語の恣意性と「人を見る目」が結びつくならば、例えばヒヨコが生まれて初めて見る「動くもの」を、それが転がるボールであっても母鶏と誤認し、その後を追いかけるような、そういう事態が生じることになります。

自分を信じ「自分が芸術だと思ったものが芸術だ」と思いなしている人は、言語の恣意性に縛られています。芸術に対する「見る目」を十分に養わない人が、自分がたまたま目にした作品に対し「これは芸術だ!」と思うこと自体に何の必然性も根拠もなく、にも関わらずそうした思いに自分自身が拘束されます。

信仰心の薄い人は「人を見る目」が無いのであり、たとえキリストの弟子であっても「人を見る目」が十分でないためにキリストを侮り、「信仰が薄い者」として叱られるのです。