アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

イズムとデマゴギー

実は、あらゆる「イズム」は無意味なのではないでしょうか?ブッダもキリストも、人が自ら独自の見解を持ち互いに議論し合うことを戒めているのです。20世紀美術は「イズム」の時代で、それで私も「非人称芸術」を提唱したのですが、20世紀のその方法論が間違いだったのかも知れません。

ブッダもキリストも独自の見解を持ち議論し合うことを戒めますが、それはブッダもキリストも「普遍」を説くからです。現代において「普遍」は成立しないと言われますが、そのように世俗的な権威による言説は疑うべきものです。

イズムとは本質的にデマゴギーではないでしょうか?あらゆるイズムは詐術なのでしょうか?印象派であるとか、キュビズムであるとか、シュールレアリズムであるとか、独自の主張を作り出すことが芸術の創造性だと私は理解していたのですが、ブッダやキリストによれば独自の主張とは真理に反しているからこその独自性であるのです。それらは政治的詐術、デマゴギーに過ぎなかったのです。

主義主張とは、政治的闘争の方法論でしかありません。20世紀美術とは、そのような政治的闘争の時代だったのでしょうか?「兵は詭道なり」と孫子の兵法にあるように、主義主張とは政治的闘争の手段であり、勝ち抜くための騙しのテクニックとして機能します。主義主張をする人は「私だけが真実を知っている」と言いながら真実の追求はしないのです。