アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

才能論と分からないこと

才能論は、なかなか克服し難いものがあって、克服したと思っても、実際には克服できていないのが才能論なのです。実のところ才能論は100%否定しきれるものではなく、ですから「才能論は100%否定され得る」と言う理念に囚われる事は、才能論に囚われる事と同意なのです。

人は、努力によっていかようにも変化できます。とは言え、人の努力には限界があり、変化にも限界があります。重要なのは、人がどこまで変化し、どこまで変化し得ないのか?という事が本人にも他人にも「分からない」という事です。この「分からない」という事に、可能性と限界がダイレクトに現れています

才能論とは何でしょうか。人は実に安易に「自分の本質」と「自分の才能」とを結びつけるのです。自分の本質とは何か?は実に難しく「分からない事」であるにもかかわらず、まるで自分の本質について「分かってる事」のように才能と結びつけているのです。

有り体に言えば、コンプレックスに悩む人は、一方では悩みが無いのです。即ち自分について「分からない」にもかかわらずこれに悩む事なく、全てを知る神の如く「自分のは何か」を知り、そのように自分自身が「知っている事」に囚われるのです。

「分からないこと」に対し、「分かったつもりのこと」で覆い尽くしてこれを隠蔽しようとする思考の指向性があるのです。そのような人は「分からないこと」の存在そのものが認められないという強迫観念に駆られているのです。この強迫観念の原因は、学校教育にあります。