アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

非人称と他者

私が言う「非人称芸術」の、「非人称」とは何でしょうか?それは実に自己愛の変形ではなかったでしょうか?つまり私は自己の才能に挫折し、自己が愛せない。しかし自分より優れた「他者」を愛そうとせず「非人称」を愛することにしたのです。「非人称」とは他者でもなく、従って「神」でもなかったのでした。

私の言う「非人称」とは言ってみれば「現実界」です。私はふとしたきっかけで現実界の存在をありありと感じ、それだけで有頂天になっていたのです。現実界は他者ではなく、他者とは「象徴界」だったのです。私は神でないものを「神」だと錯誤していましたが、それは素朴な科学思考に過ぎなかったのです。

私は自分なりに「基準」を現実界に求めたのです。逆に言えば私は象徴界こそが、真に基準になり得ることを、理解できていなかったのです。例えば私は生物史に興味がある一方、人類史にいまひとつ興味が持てないでいました。このような片手落ちがなぜ生じたのか?科学的成果である生物史は現実界であり、人が書き記す歴史とは象徴界なのです。

私は「自己流」に拘りましたがこれが間違いでした。芸術は自己流であるという認識が間違っていたのです。自己流とは結局は素人の技に過ぎません。街のチンピラはプロの格闘家に勝つことはできないのです。プロのオリジナリティーは、素人の自己流とは次元が異なるのです。

自己流を脱するにはどうすれば良いのか?一つにはアリストテレスを読むことです。アリストテレスにより「基本」を学べば、自己流がいかに間違いであるかが反省されるのです。