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科学と目的

科学技術は進歩しても人間は進歩しない。なぜなら科学技術は、外部蓄積が可能であるところに特徴があるからです。人が死んでも技術は蓄積されます。後の人が技術をマスターするのは簡単です。なぜなら解釈の違いというものが科学には存在しないからです。哲学から解釈の違いを除いたものが科学なのか?

科学は人々に「目的」をもたらしました。それは「科学」という目的です。つまり科学とはそれ自体が本来的に目的化されています。科学の目的とは何か?という問いは科学の外部の問題で、科学にとっては無関係です。多くの人は自分の生きる意味を不問にしながら科学それ自体を目的として生きています。

特殊と類型。人は誰もが精神病で、その症状はそれぞれが個別的、特殊であると同時に、類型的でもあるのです。科学的治療とは、類型性に対し効果があります。いや「類型」も一つの症状であり、特殊な症状を類型的症状へ転化させるのが科学的治療だと言えるかもしれません。

人間の精神は、途方もなく複雑です。この複雑さをまずは堪能してみることです。

最近古本屋さんでラカンフロイト技法論』を買って読んでます。

 

人間の精神は構造化しています。しかしだからと言って、誰もが自分の精神が構造化していることを把握できているわけではありません。なぜなら、人間の精神は構造化しているからです。

不安なのはまともな証拠です。安心し切っている人が病気です。働いている人は異常です。何故なら正常とは大多数を指すのであり、働く人間は動物の中では少数派だからです。大多数の動物は働かずに奪います。働かずに非合法的に奪う者だけがまともです。何故なら法を守る者はごく少数で、大多数の動物種に対し人間の法は無効だからです

人間とはお預けをくらった犬と同じです。シートン動物記のオオカミ王ロボは欲望のまま獲物に襲いかかることなく注意深く機会を待ちます。即ちこれが「お預け」です。自分で自分にお預けを喰らわせるのが「知性」です。群れの中で知性は分業化されます。ロボは自分自身にお預けを喰らわせ、さらに群れの手下のオオカミにお預けを喰らわせる役目を負っています。

不安とは何でしょう?一つは約束が守られないことです。人間関係とは即ち約束を意味し、社会は約束の連鎖であるからです。ですから不安を抱える人は自ら約束不履行の不安を抱えている、実に信用ならない人でもあるのです。

約束を守れない人、約束の意味がわからず約束を蔑ろにする人は、不安に陥ります。不安は「意味」によって解消し、意味は約束の中に見出されます。

学校のクラスの中で、一番勉強のできないお友達に合わせて授業を進めると、勉強ができるお友達は不満に思います。しかし現代日本社会のある面はそのように「一番できないお友達」に合わせているのであり、それが社会主義の基本でもあるのです。もう一面は、できる子とできない子のクラス分けです。

 

しかし約束は破るためにもあると言えないでしょうかね。いつまでも約束に縛られるのも考えものだとも思いますが。

 

約束の存在が自明化すると、約束そのものが見失われ、つまり「約束を破った」という自覚なしにこれを破る事態が生じ、これが不安の一つの原因となります。 

 

こんにちは。糸崎さんは「約束」を日本語、日本文化圏の概念で考えておられますか。 約束は英語だとpromiseで、そちらは日本語の「契約」という概念も一緒にあるので、神との契約の概念のある文化圏では、もっと強制力がありますよね。それを破る事は罪の概念まで行きます。

 

もっと広い意味で、約束と示したのは「象徴界」つまり言語の基本です。例えはイヌを「イヌ」と呼び「ネコ」とは言わない約束で、これを守らなければ人間関係が成立しません。この基本が神との契約を含む様々なバリエーションを生じ社会を形成します。 

例えばエンマコオロギはコロコロリーとオスがなけばメスへの求愛サインだと本能で決まってます。しかし人間は本能が壊れてますから、かわりに人間同士で約束を決めます。しかし人同士の約束は恣意的で破られる可能性がある。神や軍事力はその保証です。

なぜ軍事力が必要かと言えば一つは「約束」の保証です。軍事力が内向きの警察力となり法や貨幣などの約束の保証となります。軍事力が無ければ約束が反故にされ、無法状態になり、貨幣は無意味になり、略奪が行われます。

私は約束した覚えはありません。

 

「約束」をもっと広い意味で捉えれば、自分が何を約束したか思い当たるはずです。100円の商品を100円で買うのも約束で、これを破れば警察に捕まるのも約束です。 

 

ここでいう約束は買い物ではありません。男女の約束や雇用などの約束です。私は買い物すれば必ずお金を払っていますよ。

 

私が初めに書いた「約束」は「広い意味での」という事です。言葉の意味を広く、そして根源的に掘り下げるのが哲学的思考です。日常的に考えれば約束とは南さんのおっしゃる意味でいいと思います。

 

郷に入れば郷に従えというのは分かります。私はそれには従っているつもりです。しかし周りとの認識のズレが生じるので生きづらさを感じるのです。学生の頃から誤解されているとよく言われました。

 

周りとの認識のズレで生きづらいのは私も同じです。なので、物事掘り下げて考える事にしたのですがだいぶ吹っ切れてきました。もちろん人によって適切な対処の仕方があるはずです。

 

ありがとうございます。今少し制作をして木を削っていたのですが、少し怒りが治まりました。木端微塵にするというのは 精神の問題でもあるのですね。木を彫って何かをつくるということは何かを思いつくる事ですから。

 

作品制作は治療効果ありますね、私もそうw