アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

風呂敷と現象学2

「現実」を認識しようとする事と「現象」を認識しようとする事は 、その感覚が微妙に異なります。現実に対する場合「あれとこれは別」というカテゴリー分けの意識が強く働きそれだけ認識が妨げられます。例えば「時間と空間は別」と言うものです。現象に対する時、現実的カテゴリー分けはリセットされます。

つまり現象学が「風呂敷に描かれた模様」であるならば、模様として描かれた様々な事物を「あれとこれは別」と言うように認識するのが「現実認識」です。しかし現象学においては、そこに何が描かれていようとも「模様」を「模様」として均質かつ公平に認識するのです。

現象学が「風呂敷に描かれた模様」だとして、描かれた対象物〔現実〕を風呂敷の外部に想定することはできませんし、そのような「想定」自体が無意味なのです。我々にとって与えられているのは「風呂敷に描かれた模様」が全てであり、その「風呂敷に描かれた模様」に全てが含まれているのです。

「風呂敷に描かれた模様」の外部世界である「現実」あるいは「客観世界」を想定するとして、結局それらの想定は「風呂敷に描かれた模様」に描き加えられるのです。我々に与えられているのはあくまで「風呂敷に描かれた模様」だけだからです。