アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

時間と節約

節約すべきはお金よりも時間です。なぜなら人の寿命は時間が限られており、時間とは即ち人生の残り時間を指すのです。もしお金を節約するのであれば、それは時間を節約するのに役立つのでなければ意味がありません。時間を無駄にしてお金を節約するのは本末転倒であるのです。

時間を節約するのにも「方法」があります。方法がなければ、時間はどんどん無駄に流れてゆきます。時間が無駄になるのは、一つには体力の問題、そして気力の問題です。体力や気力の低下が、時間の無駄を生じさせます。時間は常に流れて動いてゆくのに、自分の体や精神が停止し無駄が生じるのです。

多くの人は自分が死ぬのは怖いと言うでしょう。しかし実際に多くの人は死を恐れていません。多くの人は目覚めながら夢を見て、夢の中で自分がいつか死ぬと言うことを忘れ、不死身の存在として生きるのです。ですから人は時間を無駄にするのです。不死身の人は時間を節約する必要がないのです。

多くの人は目覚めながら夢を見て、夢の中で不死身の存在として生き、時間を無駄にします。その意味で「目覚めた人」は生きながら死んでいます。相撲に「死に体」という用語がありますが、人はいつか死ぬことが決まっている「死に体」で、自分が「死に体」だと自覚する人は生きながら死んでいるのです。

ソクラテスもブッダもキリストも、「目覚めた人」は生きながら死んでいて、故に「死」と向き合い、そして時間を無駄にすることがないのです。逆に多くの人は目覚めながら眠っていて、夢の中で永遠の命を得て時間を無駄に過ごし、逆の意味で「生きながら死んでいる」のです。

私の友人Mさんは「死ぬのが怖い」という思いが強く311以降は放射能恐怖症で手洗いばかりして、仕事もする気も失せ実家でほぼ一日中眠って過ごしてますが「眠ってるのは死んでるのと同じでは?」と突っ込んだところ「そうですね、実は自分は死にたいのかも」と答えてました。