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学びと盗み

人は「自分固有の感性」によって感じ、「自分固有の考え」によって考えているつもりでいて、その実「既成の感じ方」によって感じさせられ、「既成の考え方」によって考えさせられているのです。それは多くの人が店で買った「既製品の服」を身に付けているようなものです。

人は普通、自分が着ている服が既製品であることは自覚できても、自分の感性や考えそれ自体が「既製品」であることを自覚できません。なぜなら本質的に「学ぶこと」は「盗むこと」だからです。盗んだ人はそれを「自分のもの」にしてしまう、つまりそれが「他人の物」であったことを忘却するのです。

プラトンが記すように哲学が「想起」であるならば、自分固有の感性や考え方が、実は他人から盗んだ「既製品」だったことを想起することが、哲学的反省であるのです。自分は何をどこから盗んだのか?これを検証する必要があるのです。

「学び」とは「盗み」です。人は「自分の言葉」で表現しますが、その言葉は他人から盗んだものであり、しかも本人は盗んだことを忘れ「自分の言葉」としているのです。しかしその他人もまた、別の他人から言葉を盗んでいるのです。そのように「盗み」は連鎖しているのです。

そのような「盗みの連鎖」は「歴史」を形成します。つまり歴史を参照することで、自分がどこから何を盗んだのかを想起することができるのです。