アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

心と芸術

芸術とは何かがわからなくなってしまうのは、芸術とはこういうもの、という具合に自分なりの答えを出してしまっているからです。

「芸術がわからない」という人に限って、「芸術とはこういうもの」という自分なりのしっかりした答えを持っているのです。

「わかる」ということには二重の意味があります。たとえば多くの人が芸術とは何かを「わかって」いて、だからこそ「芸術」という言葉をお互いに使うのです。一方で多くの人は改めて芸術について問われると「わからない」と答えるのです。

そもそも「わかる」とはどういうことでしょうか?逆に「わからない」ものとは例えば、他人の心は自分には決してわからず、自分の心は他人には決してわかりません。にもかかわらず人がお互いの気持ちをわかりあうことで社会が形成されているのです。つまり「わかる」という事にはレベルが存在するのです。

「わかる」という事にはレベルがあり、レベルを上げて行く事の可能性気開かれているのが「わかる」という事の一つの意味だと言えます。

例えば昆虫は何もかもをわかりながら生まれてきます。モンシロチョウの幼虫は生まれてすぐ自分の卵の殻を食べ、そのあとキャベツの葉を食べ、脱皮して蛹になりチョウになるその仕方も全てわかりながら生まれてきます。

芸術とは何か?一つの答えは自分はすでに芸術とは何かをわかっているのであり、自分がわかっている芸術とは何か?を自問する事です。そのようにして現代日本人アーティストの多くは「自分の芸術」を制作しているのではないでしょうか?