アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

法然とコンセプト

自分が提唱していた「非人称芸術」についてまた一つ分かったのですが、これは一つには法然の系譜なのでした。つまり「南無阿弥陀仏」と唱えることと、私のいう「非人称芸術」とは、ある意味では同一であったのです。

法然はただ「南無阿弥陀仏」と唱えることで極楽浄土にいけるとしたのです。法然は、厳しい修行に耐えながら悟りを開く正統的なやり方を認めながら、自分にはそれが無理だとして、自分にも可能な方法として、しかも正統的なやり方に匹敵する効果が得られる方法として、念仏を唱える方法を見出したのです

私も「自分には芸術の才能がない」という認識を出発点として、しかし自分でも可能であり、しかも才能豊かなアーティストと同等以上の創造性を発揮できる方法論として「非人称芸術」を見出したのでした。

法然は悟りを開くための正統的な修行を一切排除し、「南無阿弥陀仏」をただ唱えるだけで同様の効果が得られる、というように大胆な簡略化、単純化を行ったのです。そして私の「非人称芸術」も、同様な簡略化、単純化であり、自分が考え得る限りの局限化であったのです。

私がなぜ法然を引き継いでいたのか?私は法然について全く知りませんでしたが、私は自覚的には岡本太郎の影響を受けていたのです。そして岡本太郎の芸術観は、あらためて調べると法然の「南無阿弥陀仏」の影響を潜在的に受け、その系譜にあるように思われるのです。

私の主張は単純で、どんなものでも「非人称芸術」だと思って見れば、その対象物が何であれ「非人称芸術」になる、というものです。そして非人称芸術には「どこからどこまで」という区切りが原理的になく、究極的には世界そのものが「非人称芸術」なのです。この単純さは「南無阿弥陀仏」に通じるのです。

つまり私はコンセプチュアルアートの「コンセプト」というものを、法然の「南無阿弥陀仏」のようなものであると捉え、そして自分でも「南無阿弥陀仏」に匹敵するような、究極のコンセプトを見出そうとする欲望が生じて、それが「非人称芸術」のコンセプトに到り着いたのでした。

しかしあらためて考えてみるならばコンセプチュアルアートのコンセプトとはそもそも「南無阿弥陀仏」のようなものだったと言えるのです。つまり写真発明以後の美術には「伝統的な写実画が不可能になった」という挫折が出発点にあり、これを「南無阿弥陀仏」のようなコンセプトで乗り切ろうとしたのです。

写真発明以後の印象派に始まる現代美術のコンセプトは、近代科学の発生と無関係ではありません。近代の単純系科学は単純な原理で支えられており、画家たちも写真術に奪われた写実画法に頼らずとも、自身の芸術を支えることのできる単純な原理=コンセプトを見出そうとしたのです。

端的に言うと、現代日本人の誰もが多かれ少なかれ日本の伝統的仏教の影響を受けていて、そして日本仏教は根本的にはニセモノであるのです。そして私は明治以降に初めて日本語に訳された最古の仏典『ブッダのことば』を読んでしまったので、自分の「非人称芸術」も反省的に捉えざるを得なくなったのです。