アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

入門と出家

西田幾多郎善の研究』読み終えましたが、哲学入門書として最適の一冊でした。現代の多くの「入門書」とは異なり、「門の中」にきちんと入れてくれます。

善の研究』は日本人による日本人のための最適な哲学の入門書で、これが難しいと言われるのはそもそも哲学が難しいからなのですが、フッサールを頭を抱えながら読んだ後だと、随分とわかりやすいし心に沁みます。これに対し現在の「入門書」はずいぶん性質が違います。

哲学の入門書は私もかつては色々読みましたが、今振り返るとそれらは本当の意味での「入門書」ではありませんでした。「入門」とは逆の視点から見れば「出家」です。哲学の門に入る者は、必然的に家の門を出る事となり、その点において哲学は難しいと言えるのです。

私が読んできたたくさんの哲学や思想や宗教の「入門書」は実のところ「出家」をしない「在家」のままそれを理解しようと言うもので、だから「わかりやすい」のですが「出家しない」ということは「入門しない」ことと同じで、門の手前でたむろっていて何も分からないままでいるのです。

フッサールは、現象学を理解することはキリスト教における宗教的回心のようなものだ、と述べてますが、西田幾多郎によれば哲学と宗教とは相通じているのであり、『善の研究』にも神について述べられた章が設けられているのです。そして一般に日本で宗教の話が嫌われるのと同様に哲学の話も嫌われるのです。