アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

言葉と切断

言葉には切断の機能があります。本来は連続しているもの、一体であるものを、切断する機能を言葉は持っています。例えば「手」と言うのも人体のどこまでが手で、どこからが腕なのかが曖昧にもかかわらず、「手」という言葉によって概念的に切断されるのです。概念とは切断で、それは言葉と結びついているのです。

以上は構造主義の基本の一つですが、哲学的訓練が不足していた私は全く迂闊でした。主観と客観とは本来は一体であるものが「主観」「客観」という言葉によって概念的に分離したものであることを、西田幾多郎を読んで改めて気付たのでした。つまり「自分」と「他人」、「自分」と「世界」もそうであり、元々連続し一体であったものをことばの機能によって切断したものであるのです。

「言葉には切断の機能がある」ということを私は知ってはいましたが、私はそれを「私が見た世界」に当てはめていたに過ぎず、これは素朴に「世界」の存在を措定する科学的思考に過ぎないのです。言葉による切断機能を、他ならぬ「自分」に向けなければ、素朴を脱することはできません。