アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

自然性と部分性

人は誰でも邪悪さを秘めています。邪悪さとは自然性であり、人は誰でも邪悪としての自然性を秘めているのです。

自然性とは部分性です。生物の認識は種ごとの本能によって規制され、つまりは部分的だと言えるのです。人間の善性は、生物としての部分性を克服し全体性を獲得しようとする営みだと言えます。

人の持つ部分性が悪を生じさせ、部分性を克服し全体性を志向する人によって善が生じます。しかし多くの場合、人は自分の持つ部分性を全体性であると錯誤するのです。

快楽とは部分性であり、幸福とは全体性です。ですから快楽は短絡的に得ることが可能で、真の意味での幸福への道は厳しいのです。ソクラテスもキリストも、真の意味での幸福のために、快楽とは真逆の厳しい選択をしたのです。