完全な認識と類似物

観察と言うのは、自分と対象物との関係を測る事ではなく、対象物と対象物との関係を測る事である。例えば昆虫の観察をする場合、自分はチョウは好きだがガは嫌いだというふうに、自分と対象物との関係を測っても、それを自然観察とは言わない。

食べ物の観察をしようとする場合にも、対象となる食べ物を、自分の好き嫌いで判別してしまっては、観察にならない。食べ物を観察する場合にも、自分と食べ物の関係を測るのではなく、食べ物と食べ物の関係性を観察しなければならない。

食べ物と食べ物は、一体どんな関係にあるのか?と言えば一つには優劣の関係がある。人は単に腹を膨らませることを超えて、より優れた食べ物を作ろうと努力してきたのである。その意味での優劣の関係が、食べ物と食べ物の間にはある。

何が優れた食べ物で、何が優れていない食べ物なのか?素朴に考えれば、自分が食べて美味しいと思えばそれは優れた食べ物であり、自分が食べてまずいと思えば優れていない食べ物であり、それは疑う余地もなくはっきりしているように思われる。

しかし食べ物の優劣を自分の好みで判断する事は、食べ物と自分の関係を関係を測ったに過ぎず、食べ物の食べ物との関係を測ったとは言えない。

整理すると、物事の優劣を判断する基準は二つある。一つは自分の好みによる主観的基準で、もう一つは自分の主観とは一切無関係の客観的基準である。

主観的基準とは何かと言えば、それは客観的基準の類似物なのである。主観と客観は全く無関係ではなく、類似物と本物の関係にある。神が自らの姿に似せて人を作ったように、人は客観に似せて主観的判断を作り出す。

エックハルトが説くように、人は神ではなく神の類似物に過ぎないが、それだけにより人が神に近づく事はできる。同じように主観は客観ではなく客観の類似物に過ぎないが、それだけにより主観を客観に近づける事はできる。そしてこの場合エックハルトは「離脱」を説くのである。

神とは「完全な認識」であり、神の姿に似せて作られた人の認識は「完全な認識の類似物」なのである。神の完全な認識とは即ち客観であり、客観の類似物が人の認識であるところの主観なのである。

人は「客観的に見て正しいかどうか」を気安く口にするが、それは「神の認識に照らして正しいかどうか」を本質的に問うているのである。そして人は神ではない以上「神の認識に照らして正しいかどうか」を判断することができない。

人間には真の意味での客観的判断はできず、人間にできるのは主観的な判断を客観的判断と錯誤する事か、あるいは主観的判断を客観的判断に近づける努力をする事だけであり、どちらも「主観は客観の類似物である」と言うことに由来している。

あらゆる主観的判断から「離脱」する事によって、主観的判断を客観的判断により似せることができる。

フッサール現象学的還元とは主観的判断の離脱であり、だから判断が現象に還元される。

人が「存在」に囚われるのは、その人が自分の好みという主観に囚われているのである。なぜなら人にとって存在の存在感が増すのは、その人の好みや嫌悪といった主観が増大することの反映なのである。存在に囚われない人は、自身の主観に囚われず、離脱しており、ことごとくが無に帰している。

エックハルトは無の中に最大の受容性がある、と説いている。そして無の反対の有すなわち「存在」は、自分の主観的好みによって生じる。つまり主観的好みにより生じた存在が、認識の妨げになる。

主観的好みにより生じる存在は「好き」「嫌い」「無関心」の三種があり、それぞれの存在が認識の妨げになる。存在の「存在」を認めない人は、その人の認識を妨げるものが「無い」のである。

結局、自尊心が認識を妨げるのである。認識とはただ他者を尊敬することであり、他者を尊敬すること以外に認識はありえない。なぜなら言語を含むあらゆる事物は自分が存在する以前から存在し、あらゆる事物は先人の尊敬すべき努力によって生み出され、他者の尊敬すべき努力により維持発展しているから。

白戸三平『忍者武芸帳』によると、剣の達人になればなるほど相手の強さが認識できる。つまり相手への尊敬が認識となっており、自身の認識力を高めるために剣の腕を磨くのである。逆に自尊心に満たされた未熟者ほど強い相手に挑みかかり簡単に倒される。

自尊心とは動物的不安衝動を解消するための幻想に過ぎず、それは理性的でもなければ、本来の自然性にも反している。もし原始時代の人間が自尊心に満たされたなら、現実が認識できず天敵に襲われ命を落としてしまうだろう。天敵から守られた文明の環境にあって人は自尊心に満たされ命を落とさずに済むのである。

原始時代の人間を含む野生動物にとって認識は死活問題で、獲物を認識するにしろ、天敵を認識するにしろ、認識により実際的満足を得るのだが、自尊心は幻想的な認識によって満足を得るのである。