アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

現実と願望

フロイト『夢判断』読んでいるが、夢判断のためには、自分の見た夢の全てを報告(記録)し、こんな細部は馬鹿馬鹿しいからなどと思い、自分の判断で省略してはならない、とある。しかし現実とは夢のようなものであるなら、自分が今見ている現実を、自分が見た夢のように観察し、仔細に報告し分析する必要がある。

フロイトが言うように夢が願望充足であり、また現実とは夢のようなものであるなら、現実もまたそれを見る人の願望充足として立ち現れる。つまり人は無数に生じる認識可能な事象のうち、願望充足に叶う事象のみを認識し、願望充足としての現実を構築する。

自分が見た夢のうち、自分が無価値だと思って気にも留めていなかった要素が、実は自分にとって重要な意味を持つ事があるように、自分が見た現実のうち自分が無価値だと思って気にも留めていなかった事柄が、自分にとって重要な意味を持つことがある。なぜなら現実とは夢のようなものだからである。