アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

小中華と大中華

小中華から大中華へ!当の中国文明は、とっくの昔から実際的に小中華に陥っており、だから孔子も嘆いているのである。小中華とはSMAPの『世界に一つだけの花』であり、世界の中心に自分だけの小さな華が咲いていると言う思想であり、いっぽうで大中華とは唯一の大きな華は誰にとっても自分の外部に咲いている。

小中華の「小」とは人間の脳内リアリティを指しており、大中華の「大」とは現実そのものを指している。人間は現実認識したものを脳内にプールすることができ、そこで呪術が成立する。呪術とは脳内リアリティの産物であり、小中華を生きる人は脳内リアリティの呪術的世界を生きている。

写真に受け継がれているルネサンス発祥の一点透視図法は、視覚世界の中心を自分に据えると言う点で、小中華思想だと言える。ところが、素人が感覚的にリアルな絵を描こうとしても、正確な一点透視図法にはならない。

つまり「自分の感覚」という小中華思想だけでは正確な一点透視図法は描けず、自分の「外部」に存在する大中華であるところの「一点透視図法」を取り入れる必要がある。このように科学とは大中華の一部であり、その採用で日本に遅れをとった中国や朝鮮は中華から決定的に外れてしまったのである

自分が世界の中心であると素朴に感じる小中華思想と、自分が世界の中心ではないと認識する大中華思想とがある。自国中心主義、自民族中心主義は本来的には大中華ではなく、小中華思想に過ぎない。

自分は世界の中心に存在しない、という小中華思想の否定が哲学にとって最も重要で基本的な認識であり、だから大中華とは一つには哲学を指しているのである。