アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

マキャヴェッリ『政略論』抜き書き

●全ての人間は邪なものであり、自由勝手に振舞う事のできる条件が整うと、すぐさま本来の邪悪な性格を存分に発揮してやろうと隙を伺うようになる。

彼らの邪悪さがしばらくの間影を潜めているとすれば、それは何かまだわかっていない理由によるのであって、そのうちにあらゆる真理の父であるといわれて
いる時間が、その化けの皮をひきはがすこととなる。#マキャヴェッリ 政略論

人間とは必要に迫られない限り善を行なわない物である。そして拘束が取り払われ、誰も彼もが勝手放題にできるようになると、たちどころに諸事万端、混乱と無秩序でうまってしまう。飢えとか貧困が人間を勤勉へとかりたて、法律が人間を善良にするといわれるのもこの為である。

英雄的な偉業は正しい教育のたまものであり、正しい教育はよき法律から生まれる。そのよき法律は、多くの人が考えちがいして非難している、あの内紛に由来している。

君主政は容易に僭主政へ、貴族政は簡単に寡頭政へ、民衆政はたちまち衆愚政へと姿を変えてしまうものである。

トゥリウス・キケロのいうように、人民とはたとえ無知であったにしても、人民が信頼するにたるとする人物が彼らに真理を告げさえすれば、やすやすと説得されうるものなのである。

ヴェネツィアのばあいのように、平民を戦争に使わないということ、あるいはスパルタのように外来者の移住にたいし門戸を閉ざしておくということ。(国家が平和で長続きする条件)