アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

ゲームと儀礼

科学と同じくゲームは構造から出来事を作り出す。従って競技が現在の工業社会において盛んであることは理解できる。それに対して儀礼と神話はブリコラージュ(工業社会はこれをもはやホビーもしくは暇つぶしとしてしか許容しない)と同様に、出来事の集合を(心的面、社会・歴史的面、工作面において)分解したり組み直したりし、また破壊し難い部品としてそれらを使用して、交互に目的隣手段となるような構造的配列を作り出そうとするのである。「野生の思考」p41

ゲームと儀礼。ゲーム的思考と儀礼的思考。有り体に言えば、自分の頭で考えない人は儀礼的な物言いをする。

「言葉が通じても話が通じない」理由の一つが、一方がゲームのつもりで、一方が儀礼のつもりで議論をする場合である。SNSなどのネットマナーは、お互いの書き込みを「儀礼」と暗に認めることで成り立っている。

美術には、社会的儀礼としての美術と、美術史というゲームとしての美術とがある。