アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

純粋と総合

極端の対義語は総合でもある。極端な人は総合力を欠いている。中庸は総合の類義語でもあって、中庸でいるためには総合力を必要とする。極端はまた純粋の類義語でもあり、純粋は総合の対義語でもある。