秩序と無秩序

原始に還元した美術。現代人は悪しき理性によって、個人の本来性を抑圧してるのであって、それを解放することが芸術表現になる、と言う岡本太郎の主張。

非人称芸術の前提には才能論があり、その敗北がある。人の能力の優劣は努力では決して埋められないと言う才能論を、私は中学の同級生で天才の「田中くん」に、決定的に植え付けられた。しかしそもそも学校教育自体が、子供の能力差を前提とし、点数によってその差を測るようになっている。

フォトモの肯定と非人称芸術の否定。なぜフォトモは改めて肯定され、非人称芸術は否定されなければならないのか?その原因は、一つには偶然性でしかない。なぜなら人は、ろくに勉強しないまま「自分の頭」で考えようとすると、無自覚的に他者の影響を受けて、実質的に「他人の頭」で考えることになる。

そのようにして「他人の頭」で考えたことが正しいのか間違っているのか、つまり現実に対し的中性があるか否かは「偶然」の結果でしかない。その偶然の結果として、フォトモは肯定すべきもので、非人称芸術は否定すべきものだと判断できるのである。

簡単に言えば、非人称芸術は「秩序の否定」という典型的な思考パターンに陥っており、これがダメな思考パターンなのは共産主義が実際的に不可能であったことにより明らかとなったのである。一方ではフォトモには明確な秩序があり、その秩序は予備校時代にデッサンの先生に仕込まれたものだが、それが偶然にもフォトモの芸術性の基本となっていたのである。