アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

ユーザーとブリコルール

レヴィ=ストロースはエンジニアとブリコルール(器用人)とを対置させたが、他にエンジニアの対立概念としてユーザーを置くことができる。そう考えるとあらゆる生物はユーザーであり、ユーザーとは生物としての本質だと言える。

例えばカエルという生物は、カエル自身に一方的に与えられたカエルとしての身体のユーザーとして存在している。イヌはイヌに与えられたイヌとしての身体を非常に上手く使いこなすユーザーであり、ネコもネコに与えられた身体機能をフルに使いこなすユーザーとして存在する。

 

生物の本質は、与えられた道具を説明書通りに使用するユーザーであり、この場合の説明書に相当するものが本能と呼ばれるものである。

 

ユーザーとブリコルールの違いは何か?有り体に言えば、ユーザは道具を説明書通りに使うのに対し、ブリコルールは説明書の範囲を超えて自分なりに工夫して道具を使用する。

 

昆虫類を実際に観察していると、彼らは自らの身体という道具を説明書通りに使用し、説明書を超えて独自に工夫するということが全くない。少なくとも昆虫類はブリコラージュをしない。

 

生物の本質がユーザーとして、ブリコラージュは生物のどの段階で発生したのか?あるいは人類史のどの段階でブリコラージュは発生したと言えるのか?