アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

具体性と象徴性

具体性とは何か?もしかすると具体性なるものは存在せず、我々は象徴性と具体性とを取り違えているだけなのではないか?

 

例えば、目の前に見える風景を写実的な具象画として描こうとする場合、目に見えるもののそれぞれを改めて象徴化して捉えなおさなければ、それを描くことはできない。

 

子供や絵の素人は、眼に見えるものを象徴化して捉え直す能力が乏しいので、絵を描かせると、見た目的にはかえって象徴的な表現になる。

 

人間の場合は言語の機能によって象徴化機能が二重化している。人間以外の生物は、言語以外の様々な刺激が認識における象徴性を担う。人間が認識する具象性なるものは、象徴性が二重化していることによって生じる「誤解」ではないだろうか?

 

人間は二重の象徴化の中を生きている。一つは言語による象徴化。もう一つは生物に普遍的に備わる象徴化機能による象徴化。西田幾多郎先生が言うところの言語で解釈する以前の直接知覚とは、生物に普遍的に備わる象徴化機能によって生じたものに他ならない。

 

人が漠然とものを見ている時、その人は言語の象徴化機能を使っているのではなく、人間に備わる動物的象徴化機能を使ってものを見ているのである。だから漠然とものを見ている限り、その見ているものを写実的な絵に描くことはできない。見ているものを絵に描くには言語による象徴化をしなければならない

 

象徴化とは、元の何かを象徴化するのである。例えば飼い猫にキャットフードを与えると、それを喜んで食べる。ネコは視覚や臭いや音や食感でキャットフードを象徴化して認識する。そのように象徴化される元のキャットフードは、ネコにとっての認識の不可知領域に属する。

 

キャットフードはネコにとって食べ物であり栄養の源であり、タンパク質やビタミンなどを含んでいる。しかし、ネコにとってキャットフードにタンパク質やビタミンが含まれ、それが体内にどのように摂取され、その結果どのような作用を生じさせるか、はネコにとっての認識の不可知領域だと言える。