アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

強者と和解

僧侶はただ一つの大きな危険を知っているだけである。すなわちそれは科学、ー原因と結果という健全な概念である。しかし科学は全体としては幸福な事情の元でのみ栄え、ー「認識する」ためには人は時間を、人は精神を、ありあまるほど持っていなければならない。「従って人間は不幸にされなければならない」、ーこれがいずれの時代でも僧侶の理論であった。

全「道徳的世界秩序」が、科学に反抗して捏造されたー僧侶から人間を解放する事に反抗して.人間は外を覗いてはならず、己の内を覗くべきである。人間は学ぶ者として事物の内部を慎重に覗き見てはならずら総じて全然見てはならない、すなわち、人間は苦悩すべきである。

ニーチェ 『反キリスト者

 

 

 

そう、苦悩する人は認識しない。実は他ならぬ自分の母親がそうなのだが、苦悩する人は苦悩に閉じこもって他人のアドバイスをことごとく認識しない。

 

そして確かに今の日本人の多くは忙しく、忙しければ忙しいほど認識力は低下する。

 

『偶像の黄昏 反キリスト者 ニーチェ全集14』(ちくま学芸文庫)のうち『反キリスト者』のみやっと読了…やはり哲学書を読むのはタイヘンで、頭に負担がかかって一気に読むことができず、どうしても時間がかかってしまう。また理解しながら丁寧に読む余裕もなく、ただ読み終えるだけで手一杯になる。

ニーチェの「強者」と「弱者」の概念はなかなか難しいが、原理的に弱者の立場から強者を理解するのが難しい。しかし逆に強者の立場から弱者を理解するのは可能なはずである。なぜなら弱者より強者の方がより認識力が高く、それがニーチェが示した原理の一つだからである。

 

ニーチェによるとキリスト教によって「強者」と「弱者」の立場が反転し、弱者の属性が「善」とされ、強者の属性が「悪」とされ、強者および強者的価値は圧倒的数を誇る弱者によって迫害されるようになった。これに対する強者による反撃とは、弱者を殲滅し絶滅させることでは決してない。

 

弱者を殲滅せよとはニーチェも述べていないし、そのような解決方法は原理的に間違っている。「文明」が形成されればその構成員がごく少数の「強者」と圧倒的多数の「弱者」とに分かれることは、構造上の必然なのである。

まして科学技術を背景にした弱者優勢の状況において、強者がこの形勢を逆転する事はかなり困難だと言える。この状況で「強者」がなし得るのは何か?と言えば、一つには宗教家の谷口雅春先生が述べる「万物との和解」である。

 

「強者」と「弱者」は和解しなければならない。しかし、原理的に弱者の側から強者に対して和解を申し込む事はできない。弱者に対してより認識力の高い強者の側が、弱者に対して和解する事ができるのである。和解とは「譲歩」であり、つまり「強者」だけが「弱者」に対して譲歩することができるのだ。

 

「強者」はまた環境変化に対して柔軟な適応性を示す、過酷な自然環境を生き抜いてきた原始的エリート集団の末裔なのである。対して「弱者」は文明成立後に登場した、過酷な自然環境では生きられない、環境変化への適応性を示さない「新しい遺伝子」を持つ人々である。

 

つまり強者の弱者に対する「和解」とは、強者による「新しい環境」への適応を示している。原始人の末裔である強者は、文明内にあってもその安寧を享受せず、常に原始時代と変わらぬ淘汰圧に晒された環境に生きている。この淘汰圧が、現代では「弱者からの迫害」という形で働いているのだ。

 

しかし真の意味での「強者」であれば、どれだけ厳しく自分に不利な環境であっても、柔軟に適応して生き延びるだけの「力」を持っているはずである。強者によるこの時代における「適応」とはどんなものか?

 

それは例えば中島義道先生が「強者」だったとして、しかしそれをひた隠しにして「弱者」を演じていて、それで哲学を装った駄本を多数出版して金儲けをされている。もし中島義道先生がそのように「演技」をしているならば、それは「強者」による環境適応の一例だと言うことができるだろうか⁈

 

以上は馬鹿馬鹿しい空想でしかないが、いずれにしろ「強者」にとって圧倒的多数の「弱者」とはすなわち「環境」であり、「強者」であればその環境に柔軟に適応できるはずなのである。

 

それでニーチェはどうなのか?と言えば、キリスト教的価値観が全てを支配するという最大限に不利な環境にあって、それに惑わされず「正しい認識」を行なった事で、実に見事な柔軟性、適応性を示したのである。本人は梅毒という惨めな死に方をしたとしても、後世に残したその功績は大きいと言える。