アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2014-10-01から1ヶ月間の記事一覧

2014年10月号のお知らせ

編 「吉祥寺LUCKYすごろく」スマートフォンで遊ぶゲームに登場する9つの場面に、私が製作したフォトモが使用されています。公開は10月14日までです。__________________________________ ワークショップ「実践!フォトモ…

視覚と距離

我々はお互いに言葉を話す以前に「見る-見られる」の関係にあります。言葉が通じない動物に対しても、我々はその関係にあります。 単に「見る」ということの中に、実に様々な要素が含まれていますが、我々はその機能の大半を意識することはできず、全ては「…

ネタとマジ

ネタにマジレスは恥ずかしいですが、実はもっとマジな問題を孕んでいます。例えば古代ギリシャの知識人(ソフィスト)達に対して「お前らマジな振りして全部ネタやんけ!」とマジレスして死刑になったのはソクラテスでした。 「ネタにマジレス」という言葉があ…

反-能力と反知性

赤瀬川原平「老人力」とは何だったのか?古典的意味での老人は、膨大な経験と知識を蓄えて、若者には及びもつかない高い能力を有しています。しかし赤瀬川さんが提唱された「老人力」は物忘れをはじめとする老化による能力の減退を、それ自体「能力」として…

ドラえもんの現象学

哲学とは素朴実在論の世界から抜け出すための「術」です。その術を身に付けず、素朴実在論の内側に留まりながら、哲学的知識をひたすら記憶すること、それはまた別の「術」です。 自分が見ている世界は、自分の外部の世界ではなく、自分の認識世界の内部でし…

芸術と現象

芸術とは「現象」です。芸術が自分の認識世界に「現象」として立ち現れると、その人は芸術が理解できると言えるのです。認識世界に「現象」としての芸術が立ち現れない人は、芸術をイメージとして理解します。 芸術が現象なら、哲学もまた「現象」です。フッ…

赤瀬川原平さん死去

赤瀬川原平さんが亡くなられたそうです。2014年11月27日、77歳だったそうです。 私は赤瀬川原平さんの「超芸術トマソン」の影響を多大に受けており、それで現在に至る自分があるのでした。 東京造形大を卒業して間もない1990年頃までの私は、「自分には才能…

マイケル・ポラニー『暗黙知の次元』

マイケル・ポラニー『暗黙知の次元』を再読してます。 人は目的は言語化できますが、その手段を言語化できず、暗黙知化しています。例えば、歩くという目的に対し、歩き方を説明することはできません。 人は目的を言い表すことはできても、その手段を言語化…

第34回芸術分析塾ラカン 10月25日(土)予告

第34回芸術分析塾ラカン 10月25日(土)予告 《彦坂尚嘉の言葉》 芸術は呪術ではありません。 呪術への退化は不幸を招きます。 自分の欲望は断念せずに、覚醒して幸福になること。

イメージと現象

イメージと、現象と、現実は違います。イメージの世界では、現実は実在すると素朴に信じられ、そして現実とイメージが混同されます。世界を現象として捉える視点は、イメージと現実の「関係」を捉えます。イメージによる視点は、事物を関係性として捉えるこ…

現象と法則

自分の心理的世界に生じる「現象」は、イメージとは似て非なるものです。イメージの中で人は空を飛ぶことも人を殺すことも自由です。しかし現実的には、人の肉体は空を飛ぶ能力を持たず、人を殺せば逮捕されます。そしてこのように現実的な法則こそが、実在…

視界が悪く概念が明瞭

フッサールは著作の中で「測定」という言葉を使います。一方でフッサールは科学者を素朴実在論者として批判します。つまりフッサールの言う測定とは科学的測定ではなく、現象学的還元による測定です。現象学的還元があらゆる測定の「基準」になります。 いや…

利己的な善良さ

自分は一体、今日はどんな「善」をなしたのか?哲学とは実に「善」の問題で、知力の限りを尽くし「善」を為すのが哲学です。今日の私はデジカメWatchの連載原稿を書いてましたが、これも知力を尽くし善良な内容に仕上げる必要があるのです。載せる写真も善良…

ブレンターノ『道徳的認識の源泉について』

ブレンターノ『道徳的認識の源泉について』を読みました。フッサールの師匠です。中公世界の名著にフッサールと一緒に収録されてました。http://www.chuko.co.jp/zenshu/1980/09/400672.html 私にも、哲学が、ようやく分かって来た気がしますが、哲学は実の…

第33回芸術分析塾ラカン 10月18日(土)予告

第33回芸術分析塾ラカン 10月18日(土)予告

いろんな人とそれほどでもない人

いろんな人がいてもいいけど、実はそれほどいろんな人はいません。

捕食者と擬態

○擬態とは、昆虫ではなく昆虫の捕食者が作り上げているのです。鳥類の高度な識別能力が、自分が補食する昆虫類を、見つけにくい姿に擬態するように仕向けているのです。 視覚が発達した恐竜の出現によって、昆虫類のデザインは劇的に変化したはずです。生物…

第32回芸術分析塾ラカン 10月11日(土)予告

第32回芸術分析塾ラカン 10月11日(土)予告 《彦坂尚嘉の言葉》 芸術は呪術ではありません。 呪術への退化は不幸を招きます。 自分の欲望は断念せずに、覚醒して幸福になること。 【ニュース】 抽象美術についてもクラスを開始しています。 《個人のた…

見る存在と見られる存在

見ることは見られることの裏返しです。自分が世界を見ていると同時に、自分は多数の目線によって見られています。部屋に引きこもって生活していている引きこもりも、基本的には同じです。そうでなければどうして彼らは言葉を理解できるのでしょうか? あらゆ…

吉祥寺LUCKYすごろく

吉祥寺LUCKYすごろくというゲームのために、フォトモを9点製作しました。スマートフォンで遊ぶすごろくゲームで、吉祥寺に新規オープンするユニクロのキャンペーンです。公開日は2014年9月26日~10月13日までと限定されてますので、こちらに画像を掲載してお…

善意と知性

善意とは知性ではないでしょうか。よかれと思って他人のために何かをする事自体、非常な知性を要することなのです。たとえ学はなくとも善意にあふれた人は「善意の知性」を有しています。 他人の存在に考えが及ばない人は、その意味において頭の悪い人です。…

視覚と覗き見

『芸術分析塾ラカン』の読書会で読んだ『精神分析の四基本原理』の「アナモルフォーズ」を読んだメモです。 __意識は影であり、あまりものでしかありません。自分とは意識であると思っている人は、自分の城を家来に占拠されてしまっています。 幸運な出会…

騙し絵と騙される人

ラカンを読んでいて改めて思うのは、自分はいかに常識に囚われているかと言うことです。囚われている、と言うことは、どうしようもなく逃れようがない、と言うことです。逃れようもなく囚われの身として絶望の他はありません。人生の残りを考えると、私は失…