アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧

学校の勉強はなぜつまらないか?

●日本の学校の勉強はなぜ理不尽でつまらないのか?それは兵隊を養成すると言うその起源の性質を残してるからではないでしょうか?つまり、どんな辛いことも我慢して、どんな理不尽な命令にも逆らわない事が兵隊には要求され、同じことが学校の児童にも要求さ…

隙間と自分

未完のテクストを補うフィクション。 視野暗点。 自分とは隙間だらけの存在であるが、さも何の隙間も無いように錯覚させられている。自分が相対する世界についても同じです。

幻想と他者

●実のところ、他人が何を考えているのか、全く不明なのです。ですので、他人に対し腹を立てるのは、本質的には無意味です。つまり自分は他者にではなく、自分が作り上げた幻想に対し、腹を立てているに過ぎないのです。 ●自分の意見を主張したいだけの人の意…

他人と幻想

実のところ、他人が何を考えているのか、全く不明なのです。 ですので、他人に対し腹を立てるのは、本質的には無意味です。 つまり自分は他者にではなく、自分が作り上げた幻想に対し、腹を立てているに過ぎないのです。 自分の意見を主張したいだけの人の意…

仲間褒めと暗黙の排除

●人間は愚かです。なぜそう言えるのか?それは「理想の人間像」と言うイデアと比較して言っているのです。どんな現物も、イデアと比較すれば劣ります。 ●現代性の本質に意味はありません。意味の無い作品に意味の無いステイトメントが付属し、意味の無い評価…

モダニズムと伝統

モダニズムは断続的に継承されます。現代のモダニズムは古代文明における「農業革命」の継承です。 真に新しいものは同時に古いのです。なぜならプラトンが指摘したように、新しいものは古い記憶の想起としてもたらされるからです。この記憶は個人を超えた人…

構造と表層深度

「新しい表現をしても多くの人が理解を示さない」という現代の状況は、中世に似ています。中世では時間も変化も決して重要とは見做されませんでした。「新しさ」を「若さ」に託す事もなかったでしょう。現代は中世が回帰した新中世だと言えないでしょうか? …

運命と固定観念

多くの人は運命的な生き方をせず、固定概念によって運命を拒絶します。大抵の場合、興味が無い、嫌い、不安、などの理由をつけ自分に巡って来た運命的な出会い、運命的なチャンスに乗らず、これをやり過ごしてしまうのです。つまりその様な人は、自分に関し…

ショッカーは芸術家で、仮面ライダーはオシゴトです

多くの人は、自分の言いたい事だけを言って、その言いたいことが大抵の人同士でだいたい一致して、そしてだいたいうまくいっているのです。それだけに「異なる意見」に対して、対応が厳しくなるのです。 迷信に陥っている人は様々なものを恐れます。合理性と…

第25回芸術分析塾ラカン   8月23日(土)予告

第25回芸術分析塾ラカン 8月23日(土)予告 ジェフ・クーンズのホイットニー美術館での回顧展を取り上げます。彦坂尚嘉と糸崎公朗のギターとアコーディオンのデュエット(10分程度) 【塾の紹介】 芸術って、野蛮な運動です。 ところが、もう一方で全く違う …

ルールと喧嘩

●批判の言葉をグッと思いとどまって、相手を観察することが重要です。相手が自分を絶対に理解しようとしないからこそ、自分は相手を理解する必要があるのです。批判ではなく、相手の心を引き出す言葉を投げかけることです。 なぜ戦争が起きるのか?は、なぜ…

懐疑と否定

芸術家は哲学者と同様、偉大なる他者に仕える者として存在します。より偉大なる他者を見出した者が、より偉大なる芸術家になります。最も矮小な芸術家は「自分」に仕えます。 一切を懐疑することと、一切を否定することとは違います。前者は頭を使わなくては…

思い込みと重力

●伝統を盲目的に受け継ぐことに意味はありません。しかし、学校の勉強とは盲目的にされるもので、そうでなければいい成績は取れず、受験に合格できません。日本のエリートは盲目的に突き進み、崖から海の底に転落し、そこが「地上」だと信じて、留まったまま…

解脱と癒着

学問のために生きる人は勤勉ですが、自分のために生きる人はすぐサボります。 哲学的思考とは解脱です。つまり自分の直接的な感覚からできるだけ遠ざかり、なおかつこれを自分のものとすることです。自分の感覚と癒着した人は、癒着した感覚そのものを手にす…

安心と詭弁

多くの人が求めるのは「安全」ではなく「安心」です。安全を得るには現在がいかに危険であるかの認識が不可欠ですが、そのような「不安」を人々は一切求めていないのです。 多くの人が求めるのはイメージです。イメージには名前がつけられ、値段が付けられて…

安心とイメージ

他人のことは、実にどうでもいいのです。重要なのは、何事も他人事では無く、自分に引き寄せて、自分の場合はどうなのか?を考えることです。自分は自分のことしか分からず、他人になり変わって他人を知ることは出来ないからです。 多くの人が求めるのは「安…

原則と自己

中立とは原則の側に立って自己と戦うことであり、この自己との戦いくらい苦しいことはあるまい。:山本七平 戦争とは、最も苦しい自己との戦い、原則との苦闘を回避した、最も安易な道なのです。 自分がない人は、原則がない人です。

食物と中毒

●職業意識とは非常識の別名である。 ●人間は、一定量の食物を絶えず注入しなければ正気ではいられない麻薬中毒患者のような生物で、その禁断症状はむしろ麻薬中毒患者よりも凄まじい。:山本七平

判断と事実

●人間が放漫になれるのは、飢えていないときだけである。:山本七平 ●自分の意思に反して手が勝手に動く、そしててが動くため、その手が逆に自分を殺してしまう、という奇妙な経験を、私はすでにしていた。:山本七平 ●人間には「武器を保持すると平和でいられ…

第24回芸術分析塾ラカン8月16日(土)予告

第24回芸術分析塾ラカン 8月16日(土)予告 【塾の紹介】 芸術って、野蛮な運動です。 ところが、もう一方で全く違うがあるのです。 自分勝手に作って、自分かってに理解していくので良いのです。 が、迷路に入ってしまうものです。 日本人の芸術理解は迷路…

可視化とマネージメント

●売れているアーティスト、人気のアーティスト、社会的ステイタスの高いアーティストは、マネージメント力が高いのです。作品の良し悪しは全くの別要素で無関係です。 イマイチ売れないアーティストは、作品のレベルではなく、マネージメントのレベルがイマ…

【訂正】第23回芸術分析塾ラカン8月09日(土)【会場変更】

【訂正】第23回芸術分析塾ラカン8月09日(土)【会場変更】 急告!!!場所変更:喫茶室ルノアール2時限目3時限目ですが、喫茶室ルノアールで行います。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■●2時限目:昼 13:00~15:00『第4回平田篤胤研究会』●3時限目:午後 15:00~17:0…

反省と先制攻撃

山本七平によると商業共産主義とか商業軍国主義というものがあって、自己の生き方と無関係に、ただ売るためだけに、どんな先鋭なことでも平気で全く無責任に言えるのだそうです。他にもいろいろな事例に当てはまりそうな指摘です。 共産主義でも、軍国主義で…

常識と学問

常識の反対は非常識です。学問とは非常識です。何が常識か?は時代や地域によって異なりますが、学問は普遍を目指します。ですから学問は、時代や地域を超えて非常識なのです。ソクラテスもブッダもキリストも、説いていたのは非常識です。どのような常識を…

商品と忘却

●勉強とは何でしょう?現代日本では、勉強とは子供がするもので大人がするものではありません。その証拠に子供に「勉強しろ」という親自身は勉強しません。学校の先生も同じです。いい大人は仕事や遊びやサボりはしますが勉強はしません。勉強する大人がいた…

常識とクラウド

●デカルトは『方法序説』で「判断に迷ったら常識に従えば良い」と書いてます。つまり自ら認識し判断してるつもりで、その実常識に従っている人は、認識を停止し、判断を停止してるのです。常識とはクラウドコンピュータのようなもので、これを使う人のパソコ…

第23回芸術分析塾ラカン 8月09日(土)予告 

第23回芸術分析塾ラカン 8月09日(土)予告 【塾の紹介】 高い評価のある高度な芸術作品は、自分勝手に見ても、じつは何もわからないものです。 モダンアートや、現代美術になるとなおさら分からないものです。 良い芸術作品を正確に鑑賞するには、独特の技…

素朴と発見

野蛮な人の理性は機械の中だだけで作動し、大量の人を殺します。海外だけのことでも、過去のことだけでもありません。 トートロジーは快感原則が支配しています。快感はあらゆる場合において同義反復的なのです。 人間の左右の目は、それぞれ機能にどのよう…

動物的恐怖と人間的勇気

人は二つ以上の相反する事実を突き付けられると、自分の頭で判断できるようになる。つまり、一つの事実から物事を判断した場合、その人は自分の頭で考えることを放棄している。 命令、という形式が存在することは、対立意見があることを前提としている。 多…

通俗と同義反復

●東大出の人は頭が良い。これはトートロジーです。芸大出の人は絵が上手い。これもトートロジーです。芸術家は口下手で、だから美術評論家が文章を書く。これもトートロジーです。通俗とはトートロジーです。カレー味のカレーです。 カレーはカレーの味がし…