2014-01-01から1年間の記事一覧
第38回芸術分析塾ラカン 11月22日(土)予告 野蛮の時代になっています。いつからこういう時代になったかは、色々な意見があると思いますが、分かりやすいのは1991年のインタネットのwwwの登場からです。野蛮なアーティストは、自分の生まれつきの本能だけで…
人間の感情や意志の動きは、地球の大気の動きと同じようなもので、自転による日照の差や、地形のあり方などによって生じるものです。「自分」とは、気象観測装置のようなものです。「プライドが傷ついた」「屈辱を受けた」などと「自分」が思うのは、その地…
私は2012年10月からずっと禁酒してるのですが、その目的の一つは「哲学」をする為です。とはいえ特に難しい事ではなく、哲学とは自分が拠って立つ「常識」の解体作業で、実のところ酒を飲んで酔っ払うと誰でもそんな状態になるのです。しかし酒の酔いはやが…
311以降、私も日本人にはとことん絶望しています。私は日本人ですから、自分にも絶望しています。 自分に絶望していると言いながら、その実絶望が足りないのです。もっと深く、とことん自分に絶望しなければならないのです。絶望の深さは認識の深さです。絶…
素朴な感覚で「外部世界」と思えるものは心的領域に生じた《現象》です。とすると素朴な感覚で「心的領域」と思えるものは何か?反省して考えるならば、純粋に直接に「外部世界」として知覚し体験できるものは連続する瞬間である「今」だけで、「今」は直後…
写真は自分の外部世界を写すものだと思っていましたが違いました。現象学的に捉えれば、素朴な感覚で外部世界と思えるものは、自分の内面に生じた《現象》だからです。ですから写真は自分の内部に生じた《現象》を写すもので、だから写真にはそれを撮った人…
どれだけ高度で難解な理論も、問われることのない前提を使用している限り、砂上の楼閣に過ぎません。 人間のあらゆる知的活動、および精神的活動は、哲学の分岐として存在します。ソクラテスや孔子が、政治が哲学から切り離されていることを嘆くのは、その意…
徹底した世界観察とは、自己自信を外に「外化する」主観性の、体型的で純粋な内部観察なのである。(フッサール) 現象とイメージは何が違うのでしょうか?イメージの根源の一つは嘘話です。嘘は言葉と発生と共にあったと考えられるからです。嘘話は《現象》の…
世界は誰にとってもあらかじめ存在する、と言うことは考えてみればスゴイことで、これを「当たり前」と片付けてしまっては、前に進むことなく地面にめり込んだままです。 現存する写真家にとって「写真」と言うものは、自分が生まれる以前にあらかじめ存在し…
世界は自分にとって、あらかじめ存在しています。世界にはあらかじめ他人が存在し、世界はあらかじめ他人が作ったもので埋め尽くされています。自分は他人の模倣をすることで、自らが他人の一員となり、世界の一部となります。 生物とは複製品です。カマキリ…
●優れた他人が存在するから、自分は劣ったままでいいのです。他人が劣ったままでいるから、優れた自分にならなければいけないのです。 優れた他人を注意深く観察してこれを認め、劣った自分を注意深く観察し、劣ったままの自分でありつづけることが実に重要…
そもそも、人は幸福を追求すべき存在なのでしょうか?フッサールの師匠のブレンターノによると、人間は「善」を追求すべき存在であり、幸福はその付属物でしかありません。「善」という概念はヒトが群体生物であることを前提に、各ユニットとしての振る舞い…
TOURI ASSOCIATION■■ 美術展 ■■ ■ITOSAKIの祭典■ 糸崎公朗と海野和男のコラボレーション作品 「昆虫フォトモ2014」 東京都写真美術館での企画展『日本の新進作家 VOL.12:路上から世界を変えていく』で飛躍した糸崎公朗の新展開は、昆虫フォトモです。昆虫写…
「独我論」という考えがありますが、自分だけが存在し、他人は存在しないのではないか?という問いです。これを逆に考えるのです。つまり他人だけが存在し、自分は存在しないのではないか?という問いです。 自分の存在は「自明」ですが、あらゆる自明は「超…
第36回芸術分析塾ラカン 11月8日(土)予告 《彦坂尚嘉の言葉》 芸術は人間の脳の構造と、その使い方に、深く結びついています。 原始脳と理性脳は、2つの間に隙間があった、両方は鏡の構造で関係しています。 原始脳にある自分の欲望は断念せずに、理性脳…
純粋な知覚としてみても、物体と身体とは本質的に区別されている。(フッサール) 知覚として現れる「現象」として、物体と自分の身体とが区別されます。現象として、そこに断絶があると、直感出来るのです。 自分の身体が物体とは異なるものとして現象してい…
我々は「世界の存在が前提されている世界」に囚われています。つまり我々は、自身が囚われの身である事を認識できず、それだからこそ「囚われの身」であるのです。 「前提」とは鉄格子です。その先に世界が広がっているかの如く見えますが、その「見えること…
●阿部謹也『「教養」とは何か』を読んでます。だいぶ前に買ったのを読めないでいたのです。その前著『世間とは何か』も買ったまま読めないでいたのですが、本棚から出てこないのて取り敢えずこっちから読んでますが、なかなか面白いです。 個人・世間・社会…
人間は臆病で、世界は恐怖に満ちています。 臆病さは魂の縮小を生じさせます。魂の縮小は思い込みの強さと頑なさを生じさせます。その結果、類型化されたオリジナリティが生じるのです。 世界に対する恐怖は人々に類型化をもたらします。人々は同じものを恐…
第35回芸術分析塾ラカン 11月1日(土)予告 《彦坂尚嘉の言葉》 芸術は呪術ではありません。 呪術への退化は不幸を招きます。 自分の欲望は断念せずに、覚醒して幸福になること。【ニュース】《個人のための芸術分析ワークショップ》が始まって、今週は5回目…
編 「吉祥寺LUCKYすごろく」スマートフォンで遊ぶゲームに登場する9つの場面に、私が製作したフォトモが使用されています。公開は10月14日までです。__________________________________ ワークショップ「実践!フォトモ…
我々はお互いに言葉を話す以前に「見る-見られる」の関係にあります。言葉が通じない動物に対しても、我々はその関係にあります。 単に「見る」ということの中に、実に様々な要素が含まれていますが、我々はその機能の大半を意識することはできず、全ては「…
ネタにマジレスは恥ずかしいですが、実はもっとマジな問題を孕んでいます。例えば古代ギリシャの知識人(ソフィスト)達に対して「お前らマジな振りして全部ネタやんけ!」とマジレスして死刑になったのはソクラテスでした。 「ネタにマジレス」という言葉があ…
赤瀬川原平「老人力」とは何だったのか?古典的意味での老人は、膨大な経験と知識を蓄えて、若者には及びもつかない高い能力を有しています。しかし赤瀬川さんが提唱された「老人力」は物忘れをはじめとする老化による能力の減退を、それ自体「能力」として…
哲学とは素朴実在論の世界から抜け出すための「術」です。その術を身に付けず、素朴実在論の内側に留まりながら、哲学的知識をひたすら記憶すること、それはまた別の「術」です。 自分が見ている世界は、自分の外部の世界ではなく、自分の認識世界の内部でし…
芸術とは「現象」です。芸術が自分の認識世界に「現象」として立ち現れると、その人は芸術が理解できると言えるのです。認識世界に「現象」としての芸術が立ち現れない人は、芸術をイメージとして理解します。 芸術が現象なら、哲学もまた「現象」です。フッ…
赤瀬川原平さんが亡くなられたそうです。2014年11月27日、77歳だったそうです。 私は赤瀬川原平さんの「超芸術トマソン」の影響を多大に受けており、それで現在に至る自分があるのでした。 東京造形大を卒業して間もない1990年頃までの私は、「自分には才能…
マイケル・ポラニー『暗黙知の次元』を再読してます。 人は目的は言語化できますが、その手段を言語化できず、暗黙知化しています。例えば、歩くという目的に対し、歩き方を説明することはできません。 人は目的を言い表すことはできても、その手段を言語化…
第34回芸術分析塾ラカン 10月25日(土)予告 《彦坂尚嘉の言葉》 芸術は呪術ではありません。 呪術への退化は不幸を招きます。 自分の欲望は断念せずに、覚醒して幸福になること。
イメージと、現象と、現実は違います。イメージの世界では、現実は実在すると素朴に信じられ、そして現実とイメージが混同されます。世界を現象として捉える視点は、イメージと現実の「関係」を捉えます。イメージによる視点は、事物を関係性として捉えるこ…