我々が自分で“見ること”のないものについては一切明言しないようにするなら、我々は上途のようなすべての偏見から免れるであろう。だがこの点がデカルトには欠けていた。フッサール『デカルト的省察』 私も現象学的判断停止は、途中まではできてたのかもしれ…
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