アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

無題

人は自分で自分の顔を見ることができません。全知全能の神は、自分で自分の顔を見ることができるでしょうか?それは人間は絶対に見てはいけない、想像すらしてはいけないものとされています。

可能性と他人

「自分」というものを考える場合、「他人」という存在が無反省に前提されているのです。 例えば、目の前の四角いポストは、見る角度によって変形します。しかしどのように変形しようとも「同一のポスト」として認識されます。「同一の自分」というものが認識…

見ることと見られないこと

人は「世界」に対して「環世界」を形成します。「環世界」は「世界」の内側に存在し、「環世界」と「世界」が同一化することは原理的にあり得ません。環世界を形成するのが先験的自我で、環世界の外殻が先験的自我です。環世界の内部に「世界の中に存在する…

本質と泥棒

動物の本質は泥棒です。動物は他の生物の身体を奪って、これを活動のためのエネルギーとし、また自分の身体を作り上げる材料とします。人間もまた動物であり、その本質は泥棒です。しかし人間は他の動物よりも、目によってより多くのものを泥棒します。 人間…

見ることと盗むこと

客観性とは何か?例えば、街中を歩きながら目にするあらゆるものは、自分に先行して他人が既に見たものばかりです。自分が見る前に他人が見たものを、自分は遅れて見るのです。 同じものを、大勢の人が見ています。例えば交差点の信号機です。ところがその信…

第55回彦坂ITOSAKI塾 3月28日(土)のお知らせ

第55回彦坂ITOSAKI塾 2015/03/25(Wed)01:28 第55回彦坂ITOSAKI塾3月28日(土)【ニュース】●《個人のための芸術分析ワークショップ》は、通算4人を終えて、5人目は4月から10回、一週おきにやる予定です。《個人のための芸術分析ワークショップ》その間の空…

現象学的判断中止

「世界」は複雑なので、様々なものをそれぞれ「カッコに入れて」考える事が必要です。例えば世界に「他者」が存在しないかの如くカッコに入れたり、「自分」が存在しないかの如くカッコに入れたり、「客観」或いは「主観」がそれぞれ存在しないかの如くカッ…

自我と変容

解脱すれば自我の変容と代替が自在になります。

自分と視点

自分が思っている「自分」は視点の一つを意味しています。例えば「物干し台から見下ろす」という場合の「物干台」に相当するのが自分です。 世界とは私と他者たちによる相互主観的世界なのです。 人は他人から物の見方を教わり、自分もまただ人に教えます。…

人生と無意味

これまでの自分の人生を振り返ると全く意味がなく、これからも全く意味のない人生が続くのです。 人生の意味などというものは、実にどうでもいいのです。なぜならこれまで過ごした人生は無意味で、これからの人生も無意味だからです。 人生に意味がないと思…

2011年3月11日のtweet

2011年3月11日、私は自分の二つのブログに何も書けずにいたのですが、Twitterを書いていたことを思いだし、当時のログをダウンロードしてまとめてみました。下記のサイトに、Twitterログの取得方法が書いてあります。http://appllio.com/how-to-download-all…

存在と私

自分にとってかけがえのない、自分に固有で、大切だと信じているものは、実は代替可能、交換可能なものでしかないのではないでしょうか?つまり、私にとって「路上」は感動の源ですが、感動の源それ自体は「路上」以外のものと代替可能で、それが不可能と信…

ワークショップ『フォトモ・いわきの街で』開催

間際の告知で申し訳ありません。まだ定員に余裕があるそうです。いわき市立美術館で、フォトモのワークショップを開催します。申し込みは「電話:0246-25-1111 ファクス:0246-25-1115」にて。フォトモの面白さをネットの告知でお伝えするのは難しいですが、…

第53回彦坂ITOSAKI塾 3月14日(土)のお知らせ

第53回彦坂ITOSAKI塾 2015/03/11(Wed)02:35 葛飾北斎の『北斎漫画』 クリックすると大きくなります。第53回彦坂ITOSAKI塾 3月14日(土) 【ニュース】●塾名を改題しました。●糸崎公朗はいわき市立美術館でのワークショップのためお休みです。●一年間52週を終…

路上とフェティシズム

●自分にとって「路上」とは何なのか?ですが、昨日は故あって福島県いわき市の小名浜から泉駅まで5キロ程歩いたのですが、充溢感があり楽しかった…だからこそ、それが何であるのか「反省」の必要があるのです。 一つ言えるのは、私がいかに「路上」を歩こう…

第52回彦坂尚嘉主宰:芸術分析塾ラカン 3月7日(土)のお知らせ

彦坂尚嘉主宰:芸術分析塾ラカン 第52回芸術分析塾ラカン 3月7日(土) *糸崎公朗がいわき市出張のため、かわりに生須芳英さんがアシスタントを務めます。【ニュース】●おかげさまで52回を迎えました。52週というと、一年と言うことです。一年できて…

解脱と脱皮

もーどーでもいーやー!!と思うのが解脱です。 ヘビの脱皮の映像です。解脱の参考になります。ブッダもこれを見たのです。一皮むけてスッキリです! 人は直接認識を「まるで◯◯のような…」というような想像的認識へとことごとく移します。

解脱!

解脱!何度か書きましたが、解脱が大事です。しかし、解脱が難しいのは、自分がいったい何から解脱すれば良いのか?それが実に分かりにくい点にあります。自分は自分のことが一番分かりにくく、自分がいったい何に貼り付いているのか、それが分からないので…

疎外と魅了

●なぜ私は「路上」に惹かれるのか?人が「自分に無いもの」に惹かれるのであれば、まさに私が日本社会から疎外されているが故に、路上に惹かれるのかもしれません。 私は日本社会から仲間外れにされ、自ら仲間外れにされることを望んでいる…アーティストとは…

観察と礼拝

●頭のいい人は勉強の仕方が上手いので、頭の悪い人との差はますます開いてゆくのです。 ●近代になって、教会の内と外が反転し、それが自然科学の一つの意味ではないでしょうか?そして、私もその只中にいたのです。つまり、それが私の言うところの「非人称芸…