アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

第73回彦坂ITOSAKI塾 5月30日(土)

第73回彦坂ITOSAKI塾 5月30日(土) 【ニュース】 ●村上隆の『芸術起業論』をやります。 ●ポストモダンのアーティスト『村上隆』の作品について ●ノイズ音楽鑑賞会 ジャパノイズ:非常階段について 【塾の紹介】は、一番後ろにあります。 ««««««««««««««««««…

創造と破壊

保守的な人から見ると、創造的な人は物を壊しているようにしか思えず、通俗的な人から見ると、創造的な人はデタラメを言っているようにしか思えないのです。 一方で、ものを壊しているだけの人や、デタラメを言っているだけのが創造的だとみなされる事があり…

哲学と適応

フッサール『現象学の理念』取りあえず読み終えました。確認すると私はこの本を2011年8月に買って、途中まで読んで内容が全く理解できず断念してます。今回あらためて読んでみると、ちゃんと理解できてるかはともかく、全く理解できずチンプンカンプンと言う…

自然主義と現象学

「自分の気持ち」と「他人の気持ち」は自然主義的には別個のものですが、現象学的には「現象」として同一なのです。 例えば「リンゴとジャガイモという別種のものを天秤にかけ重量を比較するのはナンセンスだ」と考えるのが自然主義です。しかし5キロのリン…

距離と認識

人が神の被造物なのだとすれば、人は神から離れる事によって「人」になる事ができます。つまり、神の被造物のままの人は、自分が神の被造物である事を知らず、神の存在を知りません。神から離れ、神の存在を対象化して認識し、自分が神の被造物である事を知…

芸術と希少性

芸術は誰が創るのでしょうか?「神が芸術を創る」という考えを私は採用することができません。なぜなら、芸術が神によって創られるのであれば、それは「才能論」であり、才能論を私は方法論的に捨て去ることにしたからです。 「神が与えた才能により、芸術は…

偽物と感動

芸術は観る人に感動をもたらします。では自分が感動したものが芸術なのでしょうか?自分が感動したということが、それが芸術であることの証拠になるのでしょうか? 有体に言えば、人は経験を積みながら「芸術とは何か?」を認識してゆきます。ですから経験の…

現象と還元

他者とは実在ではなく現象です。だから怖がることはないのです。 目の前の他者が怒っている時、実在する他者が現実に怒っているのではなく、目の前他者が怒っていて、それがあたかも実在してるように私に感じられる、という現象が生じているのです。 目の前…

第70回彦坂ITOSAKI塾 5月16日(土)

第70回彦坂ITOSAKI塾 - 彦坂ITOSAKI塾

才能論と弊害

私の「非人称芸術」が明確に間違えていたのは、それが才能論を根拠にしていた点です。芸術とは何か?を天才による作品だと定義し、その上に非人称芸術の定義が組み立てられている、これは明らかに土台が間違っています。 私の陥った才能論は、さらに二重化し…

第69回 藤沢 彦坂ITOSAKI塾 5月14日(木)

第69回 藤沢 5月14日彦坂ITOSAKI塾 - 彦坂ITOSAKI塾 5月14日(木) 時間 14:00~16:00 第5回「《文明》の作品の作り方、《野蛮》な作品の作り方」(全10回)講師:彦坂尚嘉

才能と天才

いろいろあって忘れてしまっていたのですが、「非人称芸術」の根拠というのを思い出したので、あらためて書き留めてみますが、 1:神は遍在する(遍く在る)。 2:故に、それが何であれ、自分が「神だ」と思ったものが、「神」として認識世界に立ち現れる…

芸術と芸術でないもの

あらゆる自然科学はその出発点に関して言えば素朴である。自然科学が探求しようとする自然は自然科学にとって単純にそこに存在する。#フッサール 厳密な学としての哲学 心理学はこのように心的物的な自然連関のうちに自明的に存在している心的なものをその自…

整合性と閉鎖系

思い出しましたが「誤解による創造」も非人称芸術の根拠の一つでした。芸術ではないものを芸術と誤解する事で、新たな芸術が創造される…それは神ではないものを神と誤解する事で、神を顕現させると言う、私の宗教的直観と連動していたのでした。イワシの頭も…

『第60回 彦坂ITOSAKI塾』5月9日(土)のお知らせ

『第60回 彦坂ITOSAKI塾』は5月9日(土)に開催します。朝10時から、個人レッスンです。芸術と時代、そして《準-文明》の関係を問題にします。5月9日(土)は、東京国立博物館で『鳥獣戯画 —京都 高山寺の至宝—』を鑑賞します。14:00に東京国立博物館会場内の…

フッサール抜き書き

日常の実際生活は素朴である。我々は、日常の生活においては、既に与えられている世界の中に入って経験したり、行為したりしている。事物を単純にそこに存在させるのは、経験の思考的能作であるが、日常生活においてはそれらの思考的能作は、知られないまま…

人間とリアクション

人は現象に対しリアクションします。人を現象に対するリアクションに還元することができます。人間とはリアクションそのものです。 例えば、目の前の人が怒っているように見える時、その人は自分の認識世界に生じた現象に対しリアクションしているのです。自…

哲学と芸術

フッサール『デカルト的省察』やっと読み終えました。もちろん、内容をちゃんと理解できたとは到底言えないですが、ともかく中央公論社 『世界の名著62 ブレンターノ フッサール』に収録されたブレンターノ『道徳の源泉について』、フッサール『厳密な学とし…

自分の好みと歪んだ他人

物の価値判断には「自分の好み」と「客観的基準」との二種類があります。しかし「自分の好み」には必然的に「客観的基準」が含まれているのです。なぜなら自分が何を好きか?何に価値を見出すか?を人は他者から教えられるからです。例えば子供は親から何が…