アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2016-02-01から1ヶ月間の記事一覧

絵画と写真

ネットアートショップ「きたいぶんしギャラリー3000」に私の水彩画作品4を出品しました。下記サイトからご購入になれます。どうぞよろしくお願いします。 kitai3000.theshop.jp 写真家である私がなぜ絵を描くのか?と言えば、もともと私は絵を描くアーティス…

不可能と可能

自分が知っているものは、ことごとく自分が知っていると思い込んでいるものであり、実際それについて自分は何も知ってはいないのです。例えば自分が座っている「椅子」について、私は何も知らないのです。 あらゆる「椅子」は、本来椅子ではないにもかかわら…

認識と外部世界

自分の目にありありと見えているこの世界が「自分のもの」であるような気になってはいないでしょうか?自分の目に見える世界は自分にとって「周知のもの」で埋め尽くされています。もし目に見える世界に「自分の知らないもの」が立ち現れるなら、それはかな…

時間と節約

節約すべきはお金よりも時間です。なぜなら人の寿命は時間が限られており、時間とは即ち人生の残り時間を指すのです。もしお金を節約するのであれば、それは時間を節約するのに役立つのでなければ意味がありません。時間を無駄にしてお金を節約するのは本末…

犬と飼い主

人はいろいろなものに縛られています。つまり人は解放されなければなりません。自分を縛っているのは「自分」です。ですから自分を解放するには「自分」の解体が必要です。「解体が必要」であることは即ち「縛られていること」を意味します。 自分が悪いのは…

競争と必要

人は互いに競う必要のないところで競っています。フッサールが自然的な人間の態度を批判したことを受けて考えるならば、自然的態度の人々は競う必要のないところで競っているのです。もし自分が何か他人と競う感情を持つならば、それは自らの無反省な自然的…

案内板と迷路

情報とは何か?英語で言えばinfomationですが、それはつまり“案内板”なのです。現代は情報化時代と言われますが、それは世界にさまざまな案内板が乱立し、それらが様々な方向を指し示し、各自がどこへ向かってゆけば良いのか?かえって迷ってしまうような状…

無知と貧乏

人が、自分がいかに無知で、いかに無能であるかを「正確」に認識するならば、そこに〈神〉が立ち現れるのではないでしょうか? 人が、自分が無知で無力であることを「個々の具体的な理由の寄せ集め」ではなく、フッサールの言うようにこれを「本質的に直感」…

哲学と宗教

プラトンの著作を読むと、ソクラテスは哲学者であると同時に、敬虔な宗教者であることが分かるのですが、これを以前の私は「古代ギリシアにおいては哲学と宗教が未分化であった」と理解していたのでした。しかし最近あらためて再読して、哲学と宗教は本質的…

第143回 彦坂ITOSAKI塾藤沢2月03日(水)のお知らせ

彦坂尚嘉先生のブログ記事からの転載です。私も参加します。

自尊心と擬態

『ソクラテスの弁明』再読してますが、「無知の知」を徹底して実行するのは思った以上に難しい。「一を聞いて十を知る」のではなく、「一を聞いて十を知らない事を知る」のでなければいけません。 例えば書店に行って自分が読むことの出来る本を一冊買うと同…