アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧

立体写真のgifアニメ(ロレオステレオ)

私が1990年頃に買った、立体写真が撮れるカメラ「ロレオステレオ」と専用立体ビューワーのセット。35mmフィルムを使用するカメラだが、 当時撮ったプリントをスキャナーで取り込んで、ビューワー無しでも立体に見えるgifアニメにしてみた。1990年頃は赤瀬川…

意志と直観

経験の蓄積とは何か?純粋経験の立場から、または現象学的立場から、過去の実在は証明することができず、従って本当に自分があることを繰り返し経験した事実は証明できないのですが、現在意識としての「経験の蓄積」は現象として疑いもなく存在するのです。 …

経験と反復

経験は何度も同じ経験を繰り返さないと、経験することができません。例えば「おいしい白飯の味」というのも、白飯を繰り返し食べる経験を経なければ「おいしい白飯」と「おいしく無い白飯」の区別が付かず、従って白飯を一回食べただけで「おいしい白飯の味…

愛と知

西田幾多郎によると、愛することは知ることです。一般に愛というのは感情で、何かを調べて知識を蓄えることは理性だとされていますが、これらは本来的に合一であるのです。 例えばアニメオタクはアニメを愛するが故にアニメをよく知り、カメラオタクはカメラ…

空間と時間

西田幾多郎によると、そしてフッサールによると、認識の「外部世界」を措定すること自体が間違いなのです。私は目で外部世界を見て認識し、その私は外部世界の中に存在する、という認識自体が自然で素朴な錯誤に過ぎないのです。 「空間」も「時間」もその存…

環境と自分

自分は何をしなければならないのでしょうか?一つは自分を変化させ続けることです。動物における変化とは環境変化であり、その意味で環境が変化しない限り、人間は自分を変える必要はないのです。ところが人間にとって環境は認識であり、認識が変われば環境…

言葉と切断

言葉には切断の機能があります。本来は連続しているもの、一体であるものを、切断する機能を言葉は持っています。例えば「手」と言うのも人体のどこまでが手で、どこからが腕なのかが曖昧にもかかわらず、「手」という言葉によって概念的に切断されるのです…

入門と出家

西田幾多郎『善の研究』読み終えましたが、哲学入門書として最適の一冊でした。現代の多くの「入門書」とは異なり、「門の中」にきちんと入れてくれます。 『善の研究』は日本人による日本人のための最適な哲学の入門書で、これが難しいと言われるのはそもそ…

第171回芸術分析塾ラカン 6月09日(木)のお知らせ

*彦坂尚嘉先生が主催する「芸術分析塾ラカン」のお知らせです。私も授業をします。第171回芸術分析塾ラカン 6月09日(木)..................................10:00〜12:00 秘密講義と演習:【生命力0】の芸術午前中は、彦坂尚嘉先生の特…