アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2016-01-01から1年間の記事一覧

天才とサヨク

本格の芸術の使命は実に芸術の道は、入るほど深く、また、ますます難かしい。だが殉ずるところに刻々の発見がある「生」を学び、「人間」を開顕して、新しき「いのち」を創造するところに在る。斯るときに於てはじめて芸術は人類に必需で、自他共に恵沢を与…

抽象と具象

私の「フォトモ」は有り体に言えば「具象」であり、現実の模倣である。しかし現実を単に模倣することは、職人的ではあるが知的であるとは言えない。そこで私の「非人称芸術」は具象と抽象の垣根を越えようとしたのだが、しかし本当にそうなっていたのだろう…

芸術と知ったかぶり

自分が芸術を認識できないことを恐れる必要はなく、ただ芸術とはなんであるかの実データを蓄積すれば、それは自ずと理解できてくる。しかし多くの人は自分が知らないということを過度に恐れ、知ったかぶりをするのである。 芸術について知ったかぶりをするの…

芸術とキノコ

人はなぜ芸術を錯誤するのか?と言えば、まず「芸術」とはその人が理解する以前に、客観的に現象している。例えば「ネコ」と言うものは、その人が「ネコとはこう言うもの」と勝手に思い込む以前に、客観として現象している。人が認識するとは、客観的にすで…

デュシャンのフォトモ

世界で最初に「フォトモ」を作ったのは誰か?と言えば、私が確認した限りではマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887- 1968年)なのです。デュシャンは1941年より「トランクの中の箱」(La Boîte-en-valise)というマルチプル(量産芸術)を販売し始め…

『逆三角関係展Vol.26』9月8日(木)開催のお知らせ

9月8日(木)に開催の『逆三角関係展Vol.26』のお知らせです。隔週木曜日に新宿の「竹林閣」で開催する、一日展シリーズの26回目です。http://gyaku-sankaku.zombie.jp/kitaibunshi/今回はゲストアーティストに花牟禮有基さんと柳川たみさんを迎え、レギュラー…

第176回芸術分析塾ラカン 9月1日(木)

*彦坂尚嘉先生が塾長をつとめる「芸術分析塾ラカン」のお知らせです。私も18:00より写真史の授業をしますので、どうぞよろしくお願いします。12:00〜14:30 初期写真の名作3回目の、写真評論家の飯沢耕太郎さんの蔵書5000冊が有る写真食堂:…

才能と前提

私の言う「非人称芸術」は、「芸術は天才的才能の産物である」という定義が前提になっていたのだが、これは現在の私の中では否定されている。 確かに、この定義が実証されたような例が自分の身近で生じていたように思えたのだが、後で振り返ると自分が若い頃…

才能と成功

自分がいかに優れていようとも、それは自分のせいではなく、自分がいかに劣っていようとも、それは自分のせいではなく、人は奢る必要もなく、卑下する必要もないのです。 自分がどれだけ成功しようとも、それは自分のせいではなく、自分がどれだけ失敗しよう…

作品と切り取り

作品とは何か?と言えば作品に仕上げようという意識がなければ作品にはなり得ません。昨日はGoogleストリートビューで世界各地を旅してましたが、そこで見るパノラマ画像は「作品」という意識で作られたものではなく、なので明確に「作品」とは異なっていま…

中央と地方

「地方」においては、親も学校の先生も子供に勉強をさせようという気がなく、子供も押し並べてやる気がなく「中央」との格差が開いてしまう。そして例え地頭が良い子供でも、地方に生まれ育ってしまうと周囲に引っ張られ、結局は勉強しなくなってしまう。と…

理論とコピー

私は学生時代に自分の才能の無さをとことん思い知って、オリジナリティを追いかけることを放棄して、模倣に徹することにしたのです。しかしどう言うわけか、私が模倣をするとエラーが生じて別のものが出来上がり、それがいい塩梅に自分のオリジナリティにな…

距離と羨望

遅ればせながら『アナと雪の女王』をDVDで見て特にLet it go!の開放感に感動したのですが(笑)子どもの優れた能力を、世間体を気にした親が抑圧するのは良くあることです。自分の子供のみならず、一般に人は人の優れた能力を理解せず、それを否定し抑圧し…

自己と要求

西田幾多郎『善の研究』「第四編 宗教」の冒頭に「宗教的要求は自己に対する要求である」とありますが、実に奥が深いと言わざるをえません。 いったい我々は、日頃からいかなる要求を、自己自身に対してしているのでしょうか? 我々は他人に対してあれこれ要…

認識と成功体験

人は誰でも成功体験に囚われています。例えば「猫」を「猫」として認識する成功体験に囚われて、「猫」を「猫」としてしか認識しなくなり、その間違いを正したり、別の見方をする可能性を排除してしまうのです。 日常的な認識、自然的態度の認識とは、成功体…

食べ物エッセイ アイスクリーム

さて、今月も柳川編集長の同人誌『無文芸』のために食べものエッセイを書かなければならないのだが、特にテーマを決めずにだらだら書く練習をしてみようと思う。 いや本当はセブンイレブンについて書こうと思っていたのだが、そう思ってセブンプレミアムのソ…

第174回 芸術分析塾ラカン  8月4日(木)

いつも直前ですいません、第174回 芸術分析塾ラカン 8月4日(木)のお知らせです。 «««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««« 2・3時限目:午後 13:00~17:30 恵比寿の「写真食堂めぐたま」にて食事と写真集鑑賞、そ…

身体移動と立体視

さて、私はかなり久しぶりにフォトモの作品集を出すことになりまして、従ってそのためのテキストも書かなければなりません。と言うわけで、ちょっと下書きをしてみます。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ フォトモは「平面」である写真を「立体」に加工した表…

第173回 芸術分析塾ラカン  7月21日(木)

彦坂尚嘉先生主催の『芸術分析塾ラカン』のお知らせです。私も18:00より写真史の授業をやります。 【急告:場所変更】明日(7月21日)の芸術分析塾ラカンの朝一番の授業は、新宿を取り消して、藤沢のアトリエで10:00行います。夜の6:00は、新宿…

万物と和解

「生長の家」創始者、谷口雅春の主著『生命の真相』の冒頭だけ読む機会がありましたが「万物と和解せよ」と書いてあり、実に私は多くの人と敵対しており和解しなければなりません。私は誰と敵対しているのかといえば、それは世間であり、私は世間から浮いた…

フォトモワークショップとエッシャー展

すでに告知しておりますが静岡市美術館にて、7月23日(土)、30日(土) の2日間の日程で、『“フォトモ”で再現 静岡の“まちかど”』というワークショップを行います。申し込みは前日の7月22日(金)まで、下記の電話で受け付けております。054-221-1049(静…

断念と理想

『善の研究』で西田幾多郎は、善とは理想の実現である、と説いていますが、しかし多くの人は様々な理由で理想をあきらめ、理想そのものを忘れ去っているのです。プラトンの想起説によれば人間は様々な事柄を忘却しているのであり、自分は何を理想としていた…

戦争と分類

科学が進歩して世の中が進歩しても、戦争が無くならないのはなぜでしょうか?ふと気付いたのですが、それは人は人を嫌うことを本質としているからではないでしょうか? 人はさまざまなものを分けますが、分けることは即ち認識です。人は生存のために「食べら…

生活世界と真実

プラトーは有名なる『共和国』において人心の組織を国家の組織と同一視し、理性に統御せられた状態が国家においても個人においても最上の善といっている。#西田幾多郎 善の研究 「世界は矛盾に満ちている」という言い方がありますが、我々はどこまで辻褄の合…

7月23日(土)、30日(土)静岡市でフォトモのワークショップ開催

『“フォトモ”で再現 静岡の“まちかど”』というワークショップを、7月23日(土)、30日(土) の2日間の日程で、行います。場所は静岡市美術館のワークショップ室です。時間は、午前10時から午後4時です。対象は、中学生以上。申し込みは電話にて054-221-1049…

第173回芸術分析塾ラカン 7月7日(木) 開催のお知らせ

*彦坂尚嘉先生が体調不良に付き竹林閣に来られないため、17時から30分間スカイプで授業をします。 *それ以外の時間帯は、糸崎公朗が新宿で授業を担当します。__ ■昼の部 *13時より、新宿界隈の写真展巡りをします。 Jacob (Red Blueberry), c-print, 2015…

自然性と部分性

人は誰でも邪悪さを秘めています。邪悪さとは自然性であり、人は誰でも邪悪としての自然性を秘めているのです。 自然性とは部分性です。生物の認識は種ごとの本能によって規制され、つまりは部分的だと言えるのです。人間の善性は、生物としての部分性を克服…

プライベートと悪

*一般に、悪事を働くことの楽しみ、悪事に加担することの楽しみ、というものは確かに存在します。一つには、自分が悪事を働くことで誰かが不幸になり、それによって自分が優位に立てるという、快感による楽しみです。 あるいは悪を為すことは共同体への裏切…

幸福と快楽

西田幾多郎によると「善」とは理想の追求であり、幸福の追求ですが、逆に「悪」とは何かを考えると、それは理想の断念、幸福の断念で、ほどほどのところで満足し、その「ほどほど」に執着しこれを死守することにあると言えます。 幸福と快楽は違うものである…

立体写真のgifアニメ(ロレオステレオ)

私が1990年頃に買った、立体写真が撮れるカメラ「ロレオステレオ」と専用立体ビューワーのセット。35mmフィルムを使用するカメラだが、 当時撮ったプリントをスキャナーで取り込んで、ビューワー無しでも立体に見えるgifアニメにしてみた。1990年頃は赤瀬川…