アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2017-09-01から1ヶ月間の記事一覧

秩序と無秩序

原始に還元した美術。現代人は悪しき理性によって、個人の本来性を抑圧してるのであって、それを解放することが芸術表現になる、と言う岡本太郎の主張。 非人称芸術の前提には才能論があり、その敗北がある。人の能力の優劣は努力では決して埋められないと言…

近代とイデオロギー

やっと分かってきたのだが、イデオロギーとは近代の産物なのである。つまり近代かによって、それまでの価値観が全否定されると、新しいイデオロギーの構築が必然的に必要になる。 私の非人称芸術が共産主義の影響を受けていたという以前に、そもそもイデオロ…

オブジェと共産主義

お金を何となく汚いものと思うのも、アートとお金は根本のところで無関係だと思うのも、ものを正せば共産主義の影響を無自覚的に受けているのである。自らの共産主義は浄化されなければならないが、そのためには自らの共産主義を対象化し、自覚化しなければ…

近代とイデオロギー

ようやく分かってきたのだが、イデオロギーとは近代の産物なのである。つまり近代化によって、伝統的なそれまでの価値観が全否定されると、新しいイデオロギーの構築が必然的に必要になる。 私の非人称芸術が共産主義の影響を受けていたという以前に、そもそ…

安心と既成

私自身、安心への志向性が強かったのは、まずは明瞭に自分は劣っているという意識があったのだが、それは明瞭に学校の成績によってそのように明瞭にランク付けされたからである。いやそれで安心を得る道はただ一つで、勉強すればいいだけの話だが、私にはど…

安心とランキング

人々はなぜこうも安心への志向性が強力なのか?自分の経験を反省しながら考えてみるならば、人は子供の頃から社会においてランク付けされながら生きている。このようなランク付けは便宜的なもので気にしなければいいはずではあるが、実際的にはそうはいかな…

安心と記号

フロイト『夢判断』を読んでいるが、フロイトの「夢の中では…」という言い回しは、目覚めている人にも当てはまる。なぜなら多くの人は安心への志向性が強く、目覚めながら安心を得るという夢を見つつ現実から目をそらし続けているからである。 その言い方を…

権威と自然

権威の否定には二重の意味がある。一つは実質的が無いにもかかわらず権威だけがある状態に対する否定。もう一つは権威そのものの否定である。ところが、権威を否定しようとする側の者も「自分にこそ権威がある」と主張するのであり、誰も権威そのものを否定…

認識と志向性

私の場合は「階級闘争」などという言葉は一応聞いたことがある程度で、それが具体的に何を意味するのかは知らないし、自分には全く関係のない古い時代の概念だと思っていたのだが、いま改めてマルクスとエンゲルスの『共産党宣言』を読むと、私自身の思考の…

幽霊と共産主義

ヨーロッパに幽霊が出る__共産主義という幽霊である。と言うのはマルクス『共産党宣言』の書き出しだが、反省すると結局のところ私自身も共産主義の亡霊に取り憑かれていたに過ぎなかった。 私が物心ついた頃は、全共闘運動などの日本の左翼運動は終わって…

純粋と総合

極端の対義語は総合でもある。極端な人は総合力を欠いている。中庸は総合の類義語でもあって、中庸でいるためには総合力を必要とする。極端はまた純粋の類義語でもあり、純粋は総合の対義語でもある。

現代人と野生の思考

「生活者」として必要な事は、ブリコラージュの素材となる引き出しをいかに多く持つか、という事だが、現代人の多くが実にこの引き出しの数が少ない。対してレヴィ=ストロースが報告する未開人は引き出しの数が多くサバイバル能力が高い。現代人は「野生の思…