アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

抜き書き

オルテガ『大衆の反逆』抜き書き

支配とは権威の正常な行使である。それはつねに世論に支えられているものでありこの事実は今日も一万年前も、イギリス人の場合もプッシュマンの場合も変わりないのである。いまだかつて、世論以外のものに支えられて支配を行なった者は地球上には一人もいな…

フロイト 精神分析入門 抜き書き

一般に患者に新しい治療施す際には、それに伴う苦痛はなるべく控えめに説明し、逆にその治療法法の効果については感情安心させるというのが、これまでの記録の定石でした(中略)しかし我々が神経症患者を精神分析によって治療するときには、それとは違った…

マキャヴェッリ『政略論』抜き書き

○戦うことを選ぶのが、きわめて勝ち目の少ない策のように思われるようなばあいでも、勝つ可能性は残されている。ところが退却のほうを選べば、どちらにころんだところで、その戦いは敗北にきまりきっている。#マキャヴェッリ 政略論 ○君主は、自分の威厳を損…

マキャベッリ『政略論』抜き書き

○人民というのは、自分に関連する事物を概括的に把握しようとするときに誤りを犯しやすいものであり、逆に個々の具体例に即して考えをすすめていきさえすれば、そんな誤りを犯すはずもないものなのである。#マキャヴェッリ 政略論 ○人間を迷夢からさまさせよ…

マキャベッリ『政略論』抜き書き

○人はけっして自分の心の奥底をさらけだしてはならないのであって、ありとあらゆる手段に訴えても自分の目的をかなえるように努力しなければならない。従って一人の男から武器をとりあげようとする時でもその男に前もって「とりあげたその武器でお前を殺して…

『芸術への道』抜き書き3

●芸術家には「材料への感覚」が要求されるわけで、この感覚の鈍い芸術家は、選択した材料を的確に使用することは出来ないし、それを作品の全体性に有効に活かすことはとうてい出来ない。#芸術への道 ●芸術はいつもその意味内容のためにこそ成り立って来たの…

『芸術への道』抜き書き2

●芸術は、自然と対置されても確固たる存在を主張するものでなければならないが、それは自然に対して固有な何かを意味してはじめて可能になるのだ。#芸術への道 ●自己の作品を前にして動揺する画家の姿は洋の東西を問わず真に芸術家のものだ。だから彼らは二…

マキャヴェッリ『政略論』抜き書き2

●われわれがなんとしても深く考えておかなければならない点は、どうすればより実害が少なくてすむかということである。そしてこれを金科玉条と心得てことにあたるべきなのだ。というのは、完全無欠でなにひとつ不安がないというようなものは、この世の中には…

マキャヴェッリ『政略論』抜き書き

●全ての人間は邪なものであり、自由勝手に振舞う事のできる条件が整うと、すぐさま本来の邪悪な性格を存分に発揮してやろうと隙を伺うようになる。 ●彼らの邪悪さがしばらくの間影を潜めているとすれば、それは何かまだわかっていない理由によるのであって、…

マキャヴェッリ 君主論 抜き書き3

●大衆はつねに、外見いかんによって、また出来事の結果だけで評価してしまうものである。しかもこの世の中には大衆しかいないのであり、この大多数の者が腰を落ちつけている場所に、少数の者が割りこむ余地はないのである。 ●人は、必要に迫られて善人となっ…

マキャベッリ『君主論』抜き書き1

これにつけても、覚えておきたいのは、民衆というものは、頭を撫でるか、消してしまうか、そのどちらかにしなければならないことである。というのは、人はささいな侮辱に対しては復讐しようとするが、大きな侮辱に対しては復讐しえないからである。したがっ…

フッサール『現象学の理念』抜き書き

本質研究は全て実際明らかに本質研究である。意識流こ中で消滅する単一の認識現象は現象学的論定の対象ではない。我々が求めているのは〈認識の源泉〉であり、類的に観取されうる思考の正しさを測定する拠り所となりまた思考がその対象性について提起する一…

フッサール『現象学の理念』抜き書き

何がそのように不可解であるのか、また認識の不可能性をまず差し当り反省する際に我々を当惑させるのは何であるか、という点を仔細に考察してみると、結局それは認識の超越性である。科学以前の認識も、それに科学的認識でさえも、すべて自然的態度の認識は…

アリストテレス『形而上学』抜き書き

●もし個々の事物より他には何ものも存在しないとすれば、何らの思惟の対象も存在せず、存在するも全ては感覚の対象のみであり、従ってなにものの認識も無いという事になろう。 ●いやしくもある人の言うように、感覚が認識であるというので無いならば、なおま…

アリストテレス『形而上学』抜き書き

すべての人間は生まれつき知ることを欲する。その証拠としては感官知覚〔感覚〕への愛好があげられる。というのは感覚はその効用抜きにしてもすでに感覚することそれ自らの故にさえ愛好されるものだからである。#アリストテレス 形而上学1-1 しかし殊にその…

アリストテレス『形而上学』抜き書き

我々が求めているもの「知恵」の名前はまさにこの同じ学に与えられる。即ちそれは第一の原理を研究する理論的な学であらねばならない。というのは善といい目的というのも原因の一種だからである。#アリストテレス 形而上学 ところで、この知恵は制作的(ポイ…

アリストテレス『形而上学』抜き書き

感覚的に知ることは、すべての者に共通した事であり、従って容易な事であって、少しも知恵ありとするにあたらない。#アリストテレス 形而上学1-1 知者は他から命令される者たるべきではなくて命令する者たるべきであり、彼が他の者に服従すべきではなくて逆…

アリストテレス『形而上学』抜き書き

蓋し「経験は技術を作ったが無経験は偶運を」とポロスの言っている通りである。#アリストテレス 形而上学1-1 経験は個々の事柄についての知識であり、技術(理論)は普遍についてであるが、行為(実践)や生成(生産)はすべてまさに個々特殊の事柄に関する…

フロイト『モーセと一神教』抜き書き

この掟(引用者注:偶像崇拝禁止)は、抽象的と称すべき観念を前にしての感官的知覚蔑視を、感覚性を超越する精神性の勝利を、厳密に言うならば心理学的に必然的な結果のしての欲動の断念を、意味していた。#フロイト モーセと一神教 精神性におけるこのよう…

ラカン抜き書き

患者の症状は患者に何らかの満足をもたらしてくれるようにできているのです。 #ラカン 精神分析の四基本概念 我々が最大限直面しているのは患者の主張のすべての深い両義性です。何しろ患者の主張はそれ自体二面性を持っていますから。#ラカン 精神分析の四…

「使徒行伝」抜き書き

彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。 使徒行伝 11:26 すると、突然、主の使がそばに立ち、光が…

「学校」マルセル・デュシャン

<芸術家は大学に行くべきか>画家のようにばかフランスのこの諺は、少なくともミュルジェールのボヘミアン生活の時代まで、1889年前後に遡り、議論のなかで冗談として用いられます。なぜ<芸術家>は世間の皆さんに比べ知的に劣るものと見なさなければならな…